とり  わたしをトイレへつれてって

 はじめて免許証というやつを取得したのが十六歳のときで、それをポケットにいれて単車にまたがり公道におしだしたとき、おれの家のまえをとおる道は、くにじゅうにつながっているのだと気がついた。この島の東のはてから西のはてまでこの道はつながっているのだ、というあたりまえのことに気がついた。世界を手にいれたようなこころもちがした。もう無免許じゃない。パトカーをとおくにみつけてもあわてて道をそれる必要なんてない。堂々と、どこまでもすきなところへいける。まてよ、かんがえてみたら、ほんとにどこまでもいけるじゃないか、道のつづくかぎり、どこまでだっていけるじゃないか。おれの家のまえのいつもの道は、どこまでもつながっているじゃないか。そう気がついて、なんだかバラ色の未来を手にいれたようなこころもちがした。おおげさじゃなくて、ほんとにそういう気もちがした。 ところがそれからしばらくして、おれの家のまえの道はじつは、どこにもつながっていないとおもいしらされることになった。ほんとはつながってるのかもしれないが、とてもそうはおもえなくなってしまった。かくされたじぶんの才能に気がついてしまったからだ。もしかしらそうなんじゃないかとツネヅネおもってはいたが、ほんとうにそうだったのだ。発動機のついたノリモノを操作してあちこちフラフラするようになってそれがはっきりした。おれには才能がある。道にまよう才能がある。それと、道をおぼえない才能がある。あるいはこういうのは才能とはいわないのかもしれないが、とにかくこの脳は道を学習しない。あらゆることを学習しないが、とりわけ道おぼえがわるい。おかしなことばかりおぼえていて、肝心なことをおぼえない。むかし世話になったポルノ女優だとかAV女優だとかのなまえはいくらでもおぼえてるのに、あとからあとからでてくるのに、道はぜんぜんおぼえない。片桐夕子なんてなまえをおぼえてるくらいなら道の一本でもおぼえとけよ、とモノサシでじぶんのアタマをひっぱたきたくなることがいくどもある。
 あるいはおれはここでせけんのひとたちの迷信というか勝手なおもいこみをタダしておきたいのだが、いったいきみたちは、オトナのオトコのひとだから道をたくさんしっているものだと、安易にそうきめつけていやしまいか。それは、安易にすぎてはいやしまいか。だって、ぜんたいなんの根拠をもってそうだときめつけられるのか。オトコのひとだって道をしらないひとはしらない。おぼえられないものはおぼえられない。これは病気みたいなものだ。病気のなにがいけないか。病気は病気だ。あわれむべきものであって、あつくいたわるべきものであって、うしろゆびをさしたりだとか、せせらわらいをなげつけたりだとか、そういうことはすべきではない。それともきみはあれか、そこまでにんげんのこころをうしなってしまったか、そこまでけがれてしまったか。‥などとさけんでみてもどうせだれも聞く耳もたないのはわかっている。しょせんこれは負け犬の遠吠えだ。ダイのオトナが道にまようというのは、単純にかっこわるいのだ。それはもう、うごかしがたい真実だ。うごかしがたい真実のなかで、きょうもおれは道にまよっている。
 たとえばおなじような家並みのつづく住宅地にすんでいるガールフレンドがいて、なんどもおれは彼女をクルマで家におくったことがある。ところが、おれの脳は彼女の家をおぼえない。十回いってもまだまよう。冗談ぬきで、ほんとうにまよう。そんなとき助手席の彼女はアキレルをとおりこしてもはやウツロである。はじめの数回はわらいながら「ここは左にまがるんだってば、まったくおぼえないわねえ」と道をおしえてくれていたのだが、十回目ともなるともうおしえてくれない。ただウツロにしている。「こんなひとにわたしの将来をあずけるわけにはいかない」と決意をかたくしていたのだろう。その気もちはわかる。でもおれは、こんなひとにじぶんの将来をあずけるしかないのだ。なにしろこんなひとが自分自身なのだから。
 クルマの免許を取得してすぐ、東京ディズニーランドとよばれる約束の地にこのガールフレンドとあそびにいくことになった。交通手段はクルマである。初心者マークのついたクルマである。運転するのはおれである。おれのおでこにも初心者マークがはってある。それがどれほど無謀で危険な行為であるか、おれにはいたいほどわかっていたので、あらかじめ地図をよく研究し、とおるべきコースにマーキングをし、助手席の彼女に、たとえ事故ってイノチをうしなうようなことになってもこの地図から目をはなしてはいけない、ときつくいいきかせておれはクルマを発進させた。やはりモノゴト、事前の準備というものが肝要である。とくに道にまようということもなく、さしたる問題もなく、順調にわれわれは目的地をめざしていた。なんだよちょろいもんじゃん、やっぱり道っていうのはどこまでもつながってるんだよ、これが文明だよ、シビリゼイションだよ、などと脳天気に油断をしはじめたころ、せなかのほうから暗雲はしのびよることになっている。このときしのびよった暗雲はいくつかあって、まずひとつは交通渋滞である。もちろんおれは、ふとい道だけを選択していた。裏道裏街道なんてとんでもない、そんな道をつかおうとしたら三年かかっても東京ディズニーランドになんて到達しない。まよいにまよって、ついてみたらロサンゼルスのディズニーランドだった、なんてこともありうる。君子あやうきにちかよらず、というわけでふとい道だけを選択していた。ところがこのふとい道は、やたらめったら混んでいた。そこへもってきて彼女がもよおしたわけである。尿意をもよおしたわけである。「おしっこしたい」というわけである。道はこんでいてさっきからビタ1ミリもすすんでいない。むこうに公園のトイレがみえる。たぶん十分くらいはこのままノロノロしてるから、あそこでしてきちゃえよ、とおれは彼女に提案した。彼女もせっぱつまってたらしくて、うん、すぐかえってくるから、とクルマをおりてトイレへむかった。‥‥と、ここまできてもうどういう話かわかったかもしれないけど、まったくそのとおりである。その直後に、とつぜん、クルマの流れがよくなってしまったわけである。そしておれは、彼女がむかった公園のトイレへクルマでいこうとして、道にまよってしまったわけである。どこがどこだかわかんなくなっちゃったわけである。バカかおまえは、といいたいきみの気もちはわかる。おれもそうおもう。でも、まよっちゃったんだよう。十分、二十分、三十分、と時間はすぎてゆく。携帯電話という文明が普及するいぜんの、太古の話である。彼女と連絡をとる手段はおもいつかない。まさかノロシをあげるわけにもいくまい。だいたい、彼女がどこにいるのかわからない。じぶんがどこにいるのかさえわからない。おれは脳機能停止状態でヤミクモにクルマをぐるぐるはしらせる。はしればはしるほどわけがわからなくなる。悪い方向へ、間違った方向へとクルマはまっしぐらにつきすすんでゆく。あきらめておれは、彼女をクルマからおろしたあの地点へもどろう、あのふとい道へもどろう、とそうかんがえた。じぶんがいる場所を確認し、地図をひろげてルートをかんがえた。すでに四十分が経過していた。ルートを選択し、クルマを発進させた。しばらくはしって、あれだ、あのふとい道にちがいない、とおれがハンドルをきったその道の、しばらくいったさきには料金所があった。料金を支払ってのりこむ道だった。ぜったいにひきかえすことのできない道だった。すでに彼女とハナレバナレになってから一時間ちかくが経過していたろう。そうして、さらにおれたちはハナレバナレになろうとしていた。愛しあいもとめあいながらすれちがう、運命のいたずらに翻弄され引き裂かれてゆく、そういうふたりとなろうとしていた。このときのおれの気もちを言葉で表現するのはむずかしい。トワイライトゾーンにまぎれこんでしまったときの、あの気もちは、たぶん道にまようというシックスセンスのある仲間にしかわかってもらえないだろう。あるいはたいていのひとは、こどものころに、デパートかどこかでおかあさんとはぐれてしまった経験がいちどくらいはあるだろう。迷子になってしまったときの不安な気もちはおぼえているだろう。それににているといえばわかってもらえるのかもしれない。そのこころぼそさに耐えながら、涙でかすむ目をこすり、むちゅうでハンドルをにぎりクルマをはしらせながら、そのときおれは確信した。すべての道は、じつはどこにもつながってなんかいない。すべての道は、道ではない。迷路なのだ。平和な日常をよそおいながら、とつぜんおれを異次元にすいこむ、そのたちのわるいいりぐちなのだ。そう確信した。
 もちろんおれは高速道路をおりてからただちにひきかえし、彼女をおろした地点にたどりつこうともがいた。もがきぬいた。だが、たどりつけないまま、そのうち日がくれて、めんどうくさくなったおれは彼女をみすてて家へかえった。道にまよいながら。そしてそれ以後、にどと彼女とはあっていない。もしかしたら彼女は、まだおれが道にまよっているとおもっているのかもしれない。まだあの異次元のトイレでおれをまっているのかもしれない。‥‥なんてオチだったらあんまりだけど、なんとか彼女とはその後もよろしくやることはできた。その日はけっきょくあえず、ころあいをみはからってから連絡をすると、くちをきわめてののしられた。まあしかたない。なにをいわれようとも奥歯をかみしめて耐えるしかない。そうしてそれいらい彼女は、おれのクルマの助手席にのるさいには、おれがなにもいわぬうちから地図をひざのうえにのせるのがデフォルトとなった。そしておれのクルマのトランクにはあの携帯用の用足し道具が常備されるようになった。そんなにまでしなくちゃでかけられないなんて、まったく、ややこしいよのなかである。

[01,02,2000]