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なにをいまさらとおもわれるかもしれないんだけど、おれは女性にたいしてかなり誠実なほうだとじぶんではかんがえている。もっとはっきりいっちゃうと、たぶんおれほど誠実なやつはいないんじゃないかとおもう。‥‥あっ、なんだきみ、その手にもった石わっ。ま、まて。話せばわかる。話せばわかるから、とりあえずその石をおけ。そこにおきなさい。あやまる、おれがわるかった。ちょっといいすぎた、だからとにかく石をおいてください。おいた? おいたね? うむ。じゃつづきを話す。たしかに、結果だけをみてみれば、あまり誠実なほうではないかもしれない。それはみとめよう。けれども、おれにいわせるなら、その不誠実な結果もまた、おれの誠実さがひきおこしたものなのだ。不幸な結果なのだ。説明しよう。つまりだな、おれは、サービス精神のおとこなのだ。おれはじぶんではそれを「じんるい愛」とよんでいるのだが、まあサービスだろうとじんるい愛だろうとなんだっていい。たとえば日常生活のなかで、女の子となにかでしりあったとする。そういうことはわりとある。そんなときおれは、可能なかぎりあかるくふるまって、彼女をなごませようとつとめる。わらわせようとつとめる。そうして、できることならくっちゃおうとつとめる‥‥ということはないっ。そんなことはだんじてないっ。おもってさえいないっ、だからその石をおきなさい。そんなしたごころなんて、ミジンもない。そうだ、これはべつにしたごころでもなんでもない。純粋なサービス精神のあらわれだ。じじつ、あいてが女の子でなくても、たとえば男の子でも、オヤジでも、ジジイでもババアでも、ひとまず相手をなごませようとつとめている。な、純粋だろ? じんるい愛だろ? そうおもうだろう? ところがだ、こうしてだれかをなごませて、おたがい楽しいひとときをすごして、そうしてじんせいはつづいていくはずなのだが、相手が女の子のばあいはそうはいかない。まださきがあるのだ。くどかなくちゃならないのだ‥‥あっ、ちょっといま、石のほうに手をのばしかけた? かけた? まちなさい。あせってはいけない。もうちょっと話をききなさい。あのね、おれだってね、くどきたくてくどいてるわけじゃないの。ほんとはね、ぜんぜんくどきたくなんかないの。だってめんどくさいんだもん。ああみえて女の子をくどくってのもけっこうエネルギーつかうでしょ? なんやかやと、けっこう疲れる。そうでしょ? おれだってそんなね、いちいちぜんぶの女の子をくどいてたら身がもたないよ、いや正味な話。それでもがんばってくどいてる。おれだってオナカいっぱいなことはある。それでもくどいてる。どんなにくたびれてたって、どんなにおちこんでたって、そうすることでこんなちっぽけなおれでもじんるいの発展になにがしかの寄与ができるかもしれないと、そうしんじて、そういう使命感にもえて、それはもうナミダぐましい努力で、がんばってくどいてる。ほんともうわれながら「じんるい愛」としかいいようがないんだけど、なんでそんなにがんばらなくちゃならないかというと、なんていうか、それが礼儀というものだからだ。紳士のたしなみというものだからだ。機会があったらくどく。なくてもくどく。とりあえずくどく。無理矢理くどく。それが男女の道というものだとおもうからだああから石をもつんじゃないっ。だめっ。石はだめっ。いやあのね、たとえばどこかの部屋で、あるいはどこかの土手で、どこかの浜辺で、女の子とふたりっきりですごすことになったら、そりゃやっぱりそういうふうに話をもってかないと失礼でしょ? だってほら、星空のしたで女の子とふたりっきりになったりして、それでもぜんぜんくどかないで、たとえばじぶんの十代まえの先祖の話なんかをトウトウとして、それでおわっちゃったりしたら、これは失礼でしょ? 女の子だってがっかりするでしょ? 傷つくでしょ? ふつう傷つくでしょ? わたしにはやっぱり女としての魅力がないのかなあなんて、なやんじゃったりするでしょ? そういうのはおれも不本意なわけで、だから、これはもう、なんていうか、思いやりなんだよね、思いやり。くどかなくちゃわるいよなあとかんがえて、それでおれもくどいてる。いっとくけど「イヤイヤながら」だよ。「みずからすすんで」じゃないよ。「イヤイヤながら」という、そこのところをどうか理解してほしい。ほんとはすきでもないのに「すきだ」といってみたりとか、ほんとはぜんぜんそんなことないのに「はじめてみたときから運命をかんじた」といってみたりとか、ほらっ、きみはそうやってまたここで石をもとうとするけれど、まてっ、ちょっとまてっ。石をおろせっ。おれだっていいたくない、いいたくないんだっ、すきでもなんでもないんだからっ。でもね、そうやっていっとかないと、不自然になっちゃうときがあるでしょ、会話のながれ的にっ。そういう、やむにやまれぬ事情というものが生じる瞬間があるでしょ、じんせいにはっ。それでおれもいってみるわけ。すきだって。それにね、だいたいね、だからといって真にうけてもらえるかっていうとそんなことはぜんぜんなくて、それどころか、まったく逆な印象をもたれることがほとんどだったりするわけ。おれはほんとは、誠実なにんげんなの。さっきもいったけど。真っ正直な、いっさいのくもりのない、高原にのぼる朝日のような、シロツメクサにふるえる朝露のような‥‥あ、ごめん。いいすぎたよ。みとめる。自己批判する。だからその石おいて。ね? おいて。うん。ごめん。おれがわるかったよ。まあたしかに多少はけがれてるよ。うん、それはみとめる。でもね、そんなにひどくはないんだよ。それほどじゃないんだよ、ほんとに。ところが、どうもおれは誤解されやすいタチならしくて、まったく逆な印象をもたれてしまうばあいがひじょうに多い。わるい印象をもたれてしまうばあいがひじょうに多い。だからおれがどんなにくどいたところで、まともに相手にされないことがほとんどなわけ。すきだの愛してるだのなんだと寝言をつぶやいたところで「うそばっかりいっちゃって」とか「くちがうまいんだから」とかいうようなことをいわれて、女の子にかわされてしまうのがほとんどなわけ。かわいそうでしょう? 不幸でしょう? おれだってたまには女の子から「うぶなのね」とか「純情なのね」とか「うそがつけないんだから」とかいわれてみたいのに、そんなふうにいわれたことなんていちどもない。なんで? ねえ、なんで? なんでおればっかりこんな目にあわなくちゃなんないわけ? だいたい「くちがうまい」っていうのはどういうこと? どういう「うまさ」をいうの? おれがおもうに「くちかずがおおい」ことと「くちがうまい」ことは、だんじてちがう。「レーニン同志」と「霊幻道士」くらいちがう。そこのところをみんなわかってくれていない。たしかにおれはくちかずはおおいかもしれないけど、けっしてくちがうまくなんてない。それどころかじぶんでは、くちべたなほうだとおもっている。だってそうでしょう、ひとの倍もしゃべるくせに、いいたいことの半分もつたえられたためしなんてないんだから、こういうのをくちべたといわずになにをくちべたというんですか。というようなことを女の子に説明すると「ほら、またそうやってだまそうとする」というふうに切りかえされてしまう。これじゃおれの立つ瀬がない。救いがない。こんなに不幸な境遇にあって、それでもめげずにおれはがんばってるんだから、たまにはだれか、ねぎらいの言葉のひとつでもあったって、バチはあたんないよね? すくなくとも、石でぶたれるような、そんな仕打ちをされるいわれはないよね? そうおもうでしょ? こんなにがんばってるんだから。わかってくれた? じゃ、その石をおいて。あ、おいてくれるの? ありがとう。いや、いいんだよ、なぐさめてくれなくても。そんな、なぐさめてもらおうとおもってたわけじゃないんだ。え、でもなぐさめたいって? いいんだってば。じゃ、そのかわりにだれか、女の子紹介してくれる?
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