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いまではもう『平成』というりっぱな元号をおかみからいただいて11年めになるわけだけれど、昭和のおわり、あすにも元号がかわるのではないかというさわぎのとき、チマタでは新元号にかんするさまざまなウワサがとびかったものであった。とうぜん、おれのチマタでも、カンカンガクガクの論戦がかわされたのだ。
さいしょにおれが提案したのは『苦節』という元号である。苦節元年、苦節二年、苦節三年‥‥。年ふるほどに、なにかこう、じんせいの重みというものをひしひしとかんじさせずにはおかぬ、それはそれは奥ふかい元号である。苦節五十年とか苦節六十年とかなったひにゃ、もう、くにじゅうのあちこちで、じんせいにサトリをひらいた国民が続出するにちがいない。これは元号の傑作ではあるまいか、とじしんをもってしりあいの長屋くんに聞かせたのだけれど、そくざに却下されてしまった。長屋くんはいう。
「そんなの、ダメだよー。年がたつほど、なんかくらくなってっちゃうよー。元号ってのはさー、もっとあかるいやつのほうがいいよー」
なるほど、そういうものであったか。ならばキミはいったいいかなる元号をおもいつくというのか、たずねると、しばらく考えこんでいた長屋、とつぜんなにかをヒラめいたらしく、目をぱっとかがやかせてこうさけんだ。
「そうだっ。『桃栗』っていう元号はどうだっ? 桃栗三年のときは、なんだかおめでたくって、とってもうれしいぞっ」
‥‥‥。たしかに桃栗三年のときはいいかもしれないけど、桃栗五年や桃栗十二年のときはどうすんだよ。そう指摘すると長屋くん、「そういやそこまではかんがえてなかったなー」とアタマをかいたのだった。おい。
余談
そのあとさらに長屋くんがいいだしたのは、『牛丼ひとすじ』という元号であった。
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