とり  鶏男女

→いきなりだけどおれはここで洋子に謝りたいんだ。あの夜、太平洋にむかって呼びかけた、白血病の洋子にさ。謝るまえにメロスにも説明しとく。
→春風に吹かれて浮かれてでかけた沖縄の浜辺におれは、女の子と並んで腰をおろし、お月さまをながめてた。横浜から来たとかいう、大学生だとかいう、髪のみじかい女の子とふたりきりの浜辺で、海のうえのお月さまを見上げてた。
「あいつって風が吹いても飛ばされないんだな」
「あいつって?」
「お月さま」
「うふふ」
「きれいだなあ」
「あのさあ。ところで、彼女とかはいないの」
「いないよ」
「ふうん。いそうなのに」
「ひとりだけ、いたよ。もうずいぶんまえだけど。だけど‥‥(浜の砂をける)」
「ふられちぁったの?」
「死んじぁったんだ。白血病で」
→もちろんおれとしてはギャグのつもりでいったんだけど、どういうわけか彼女は本気にしちぁってさ。たしかにギャグだとはおもえなかったかもしれないけど。でも、それにしたっていきなりなにやら必要以上に深刻な感じになっちぁったんだ。
「ゑ‥‥ごめんなさい」
→ほんとにすまなさそうに謝る彼女をみたら、いまさら冗談だなんていいづらくなっちぁってさ。とりあえずおれはつくり話をつづけることにした。
「いいんだよべつに」
「ううん。ごめんね、へんなこときいちぁって」
「もう平気なんだ」
「ほんとに?」
「そりぁ彼女が死んじぁったときはつらかったけどさ‥。一時は自殺とか考えたことも‥」
「ゑっっっ」
→もちろんおれはこれまでの生涯において、自殺しようなんて思ったことはビタ一度たりともない。
「でもいまはもう平気なんだよ、ほんとに」
「‥‥‥」
「だって彼女はおれのこころんなかでまだ生きてるし。彼女はたしかに死んじぁったけど、彼女のおもいではおれのこころんなかにたいせつにとっといてあるし、へらへら、だからおれはいままでだってずっと彼女と一緒に生きてきたし、へらへら、これからだってずっと彼女と一緒なんだ。ほんだよ。ちっともさびしくなんかないんだ、へらり」
→こんなふうにへらへらしながらいえばもしかしたら冗談だとわかってくれるかなとおれは期待してたんだけど、とんでもない、彼女ときたら泣きはじめちぁったんだよ、感動して。顔をおおって肩震わして泣いちぁってんだよ。
「‥かわいそう。しくしく‥」
「げっ。なななんで泣くんだよ」
「‥‥しくしく、ごめんね‥」
「なんで謝るんだよ」
「だって、えっく、ええっく(泣く)」
「泣くなよ、まるでおれが泣かしたみたいじぁないか」
「だって、えっく、涙がでるんだもん、ええっく、ええっく」
「ほんとにおれはさびしくなんかないんだってば」
「ええっく、ええっく、ええっく(おおいに泣く)」
→これだけ盛大に泣かれちぁったら、いままでのはみんなつくり話だったなんて、いよいよいえっこない。おまけにどんなにあやしても彼女はなかなか泣きやまなくて、なんだか妙なことになっちぁったなあとか思いながらもおれは必死んなって彼女をなぐさめてたんだ。そのうち彼女も泣き飽きて、くさいことおれにまた話しかけてきた。
「きれいなひとだったんだろうね、そのひと」
「これがまたジンサンバケシチっつうくらいのひっでーブスでさあじつは」
とかおれはいいたかったんだけど我慢して沈黙してた。
「そのひとのなまえを教えて」
「イソノワカメってんだ」
とかおれはやりたかったんだけどこれも我慢した。
「‥(なんにしようかな。いいやヨーコで。沖縄っつえば具志堅ヨーコだもんな)ヨーコ、っていうんだ」
「ヨーコさん。‥ヨーコさん、か‥」
「(なにをひたってるんだろうなあ、こいつ)太平洋の洋って字なんだ」
「うん」
「だから、海にくるといつも、おれは、洋子に逢えたような気もちがするんだ」
→こうなりぁもうヤケクソである。
「それでおれは、海にむかって叫んでみるんだ。洋子、って」
→だんだんおれもその気になってくる。
「するとさ、なんだか洋子の返事が聞こえるような気がするんだよ。おれのなまえを呼びかえす洋子のなつかしい声が聞こえてくる気がするんだよ」
→あとはもうつっぱしるだけ。
「それでおれはうれしくなって、なんだかしあわせな気もちになって、また、洋子って呼んでみるんだ。くりかえし、くりかえし、洋子、洋子、洋子‥」
「だけど、ふとわれにかえると、そこには誰もいない。やっぱり洋子はいないんだよ。そして、いつのまにか自分が泣き濡れていることに気づく‥」
「それでもおれは行かずにはいられなくて、なんども海に行ってみた。おれのこころの洋子をさがしに、日本じうの海をおとずれてみた‥」
「そしておれはとうとうみつけたんだ。とうとう今夜、おれはみつけたんだ、おれの、洋子を‥」
→そこでおれは「洋子」ってつぶやきながら、横に座ってる女の子をみつめたってわけさ。いくらなんだってここまでくれば彼女も、おれの話がデタラメだってことに気づいてたんじゃないかとおもう。それとも最後まで信じたままだったんだろうか。あるいはもしかしたらおれのこと、あぶない奴だとでも思ってたんだろか。わかんない。ともかくそういうわけでそれから彼女とおれは、お月さまのみまもるなかでキスしたんだけどもね。
→だからおれはここで、潔く洋子さんに謝ります。ついでだから洋子だけじぁなくて、ユウランにも謝ります。あと、あけみにも、ひろみにも、じゅんこにも、みさこにも、まさみにも、えみこにも、わかこにも、みえこにも、カルラにも、ジョジマリにも、あとだれだっけな、とにかくこの際だからみんなまとめて謝っときます。
→みんなごめんね。みんなとの約束、守れなかったよ。おれがすきなのは、一生でただひとり、おまえだけさって約束、守れなかったよ。ぜったいにほかの女の子にはいいよらないって約束も守れなかったよ。ごめんなさい。ほんとにほんとにごめん。
→っつうふうに謝っちぁってせいせいしたところで、もしかしたら誰も許してくれてないのかもしんないけど、ともかく勝手にせいせいしちぁったところで、じぁ前回のつづきをはじめます。


2時も過ぎて「眠ろっか」って感じで灯りを消したんだけど白都さんもおれももちろん眠れるわきぁない。
おれの耳のすぐそばで聞こえる彼女の息づかいがなんだか妙になまなましく感じられちぁって、おれの♂はもうずーと前からネルチンスク条約さ。
「もうねた?」
「おきてる」
「今日はごめんな」
「いいの」
「怒ってる?」
「ううんあたしが悪いの」
「ねえ」
「ん」
「なんでもない」
「なあに」
「あのさあ」
「うん」
「おれのことすき?」
「わかんない」
「あのさあ」
「うん」
「おれは白都さんがすき」
「ありがと」
「白都さんはおれのことすき?」
「うん」
「ちぁんといえよ」
「あたしもくりたくんがすき」
けっけっけっけっけっけ、ちぉろいぜ女予備校生。
白都さんはすこし震えた声でたしかにそういったんだ。
けっけっけ。
まそろそろ愛しあうふたりの気合いも充血してきたこったし、意を決しておれは手をのばした。
白都さんのからだにおれの指が触れたとたん、彼女はびくっとからだをかたくして、やめてとささやいた。
しそうか でもやめらんない。
もうカールマルクスだってやめらんない。
おれはすばやくおおいかぶさってキスしようとした。
その時、はずみで隣でヘンなイビキかいてる沖山のフトンに手をついちぁったんだ。
するとその手に、なんつうか、ネチャっていうようなフシギな感触があってさ。
そっちをみたら。
水たまりのようなのが沖山のフトンにあるわけ。
なんだこりぁと思って暗闇に目をこらすと、沖山の寝ゲロでさ。
寝ゲロがフトンにしみこんで、肥沃な三角州地帯を形成していて、そのまんなかにおれは手をついちぁったんだ。
ゲとか思っておれはあわてて手についた生あったかい寝ゲロをフトンのまだ汚染されてない部分でぬぐったんだけど。
気がつけば部屋の中には鼻にツンとくる異臭がじうまんしててさ。
つられておれも吐きそうになっちぁったよ。
だけどそんなことより白都さん。
おれの♂だってさっきからバイマンテンパってるしさ。
いくら人類愛のおれとはいえ、この状況下でいまさら沖山の寝ゲロなんかかまってらんないから、とりあえず三角州は見なかったことにして、白都さんと先をつづけようとしたんだ。
もういちど白都さんに視線をむけると、彼女はおれのしたで目をとじて、つぎのおれの行為を待ってるのね。
けなげに。

  ♂れる。これは♂れる。

代々のご先祖さまのすべてにひれ伏して感謝したくなるような素晴らしい予感に身をうちふるわしたその時さ。

ボタっ。ボタボタ。ボタボタボタボタボタ‥‥。

おれの背中になにか降ってきたんだ。
「なんだなんだなんだなんだなんだ?」
頭をあげてあたりをみまわしたらさ。
そうなんだ。
天井むいて眠ってる沖山の口から、有珠山マグマ水蒸気爆発つう感じでプワーと勢いよくゲロが噴きあげてるんだ。
ボタリボタリと落下してる岩石はまだこなれてないあのヤキトリの塊でさ。
二、三秒間隔で
「プファッ、プファッ、プッファアアアアイ」
タワケモノの火口から噴射されてるわけ。
天まで届けとばかりに。
そしてボタボタ四方八方に降ってきてるんだ。
もちろんおれの頭や背中やけつの上にも。
とたんにおれの♂はもう立ち枯れ病になっちぁって、プシューて感じでしぼんでったよ。
ねえ、こんなのってあり?
ひどすぎるよ。
あんただってそう思うだろメロス。
晴れの日も雨の日も休まずチマチマと育んできた愛がやっと成就するつうそのときに、どうしてゲロ吐かれなきぁなんないわけ?
それも平和でしあわせな社会のための純愛の女の子だぜ?
おれなんかこれが楽しみでこれだけが楽しみで生きてんのによお。
ったいなんなんだよもう。
ったくったいなんの恨みがあってこのバカはこのバカはこのバカはひとが愛をまぐわしてるところにゲロ吐くわけ?
だいたいこれからひとがキスしようってとこにゲロぶちまけるかあふつう。
おれ、ほんっとーにめまいがしたよ。
同時にそれまでの疲れがどっとでてきてさ。
「きゃー」
とか白都さんは悲鳴をあげながら押し入れの中へ避難してったけど、おれはもう逃げる気力もしぁべる気力もなんにもなくなって、あったかいヤキトリのシャワーに打たれながらただボーゼンと、眠ったまま吐き続ける沖山をながめてたよ。
プファッ。プファッ。ボタボタボタボタ‥‥。
人生って、きびしい。


ヤキトリじうたん爆撃がやっとおさまってしばらくたってから、うちのめされて白都さんとおれはよろよろと立ち上がったんだ。
そしてボロボロの敗残兵みたいに足をひきずって流し場まで歩き、つめたい水でからだを洗いきよめた。
おたがい交わす言葉なんてあるわきぁないさ。
それからまた足をひきずって部屋にもどり、すみに新聞紙を広げてカベにもたれたままそこへヘナヘナとへたりこんだ。
そして傷ついた塹壕の中の兵士たちがそうするようにおれたちは、お互いをかばいあうみたいよりそって眠ったんだ。
さっきの続きをはじめる気力なんてどこにもないさ。
むてきの日々もどこへやらだ。
もうなにもしたくないなにもかんがえたくないなにもみえないきこえないおもいだしたくもない。
そんなくさった気もちで、あっというまに眠りこんだったんだ。
やがて明け方。
おれはなにやらフキツな音に目がさめた。
じょろじょろじょろじょろじょろ。
「なんの音だろ?」とは思うもののなにしろ寝ぼけてるから。
頭ん中がぼやけててしばらくそのままボヤーとしてたんだけど。
でも音はいっこうに止む気配がないわけ。
じょろじょろじょろじょろじょろ。
しまいにぁさすがにおれもこりぁ変だぞつう気がしてきて、薄目をあけてみたら。
朝焼けのやらかい光がさしこみだした部屋の中、沖山がカベぎわに立ってるわけ。
むこうのカベにむかって、おれには背中をむけて立ってるわけ。
「へ?」
とか思ってこんどはしっかり目を見開いてよくみたらさ。
そうなんだ。
小便してんだよ。
部屋ん中で、部屋のカベにむかって。
じょろじょろじょろじょろじょろ。
これがまた長ああああああい小便で。
そのうち白都さんも気がついて、おびえた声をあげたんだ。
「やあああん、このひと、おしっこしてるう」
それを聞いた沖山は小便はしたまま頭だけ振りむいてゲロまみれの顔をおれたちにみせ、そして

   ニタリ

とわらったんだ。
もはやこの世のものとは思われぬ光景におれは気が遠くなっちぁって、沖山がカベの中に消えていくみたいに感じたよ。
いい忘れてたけど沖山って頭ん中はカラッポのくせして顔だけはやたらと整ってるやつでさ。
ギリシアの彫刻みたいな顔がゲロまみれんなって寒山拾得みたいにニーとか笑ってるところのブキミさ、想像つくかい?
「やああああああああああああん」
そう叫んだ白都さんはすでに泣いてたよ。
そういう、ひとを怖がらせる妖力があの笑顔にはあったんだ。
正直いっておれはそれでゾーとしてパニックんなっちぁって、とにかくそこから逃げだそうとしたんだよ。
財布もクツ下も白都さんも置き去りにして。
ところが恐怖のせいか疲労のせいかわかんないけど腰が抜けちぁっててさ。
立てないんだよ。
仕方ないからヘビ少女みたいに這いずりながら逃げたよ。
白都さんもやっぱり這いながらおれのあとをついてきた。
あわてふためいて。
わんわん泣きながら。
そしてなんとかアパートから這いでると、泣きじぁくる白都さんの手をひいてまだ静まり返ってる街の中を、むちぁくちぁよろめきながらそれでも力の限り走ったんだ。
沖山が追いかけてきてるわけじぁないけど、走りださずにはいられなかったんだ。
一秒でもはやく、一歩でも遠くに、沖山の呪われたアパートから離れたくてさ。
一度も振り返らずに走ったんだ。
白都さんだって同じ気もちだったと思う。
彼女はなんどもなんどもけつまづいて転んだけれどそのたびすぐ立ちあがって歯をくいしばって走り続けたから。
平和としあわせのかわいいひざはいつのまにかすりむけて血が流れてたけど。
おまけに涙はいつまでもとまんなくて顔はぐしぁぐしぁんなってたけど。
でも彼女はがんばって走り続けたんだ。
おれもそんな彼女の手をにぎりしめて走り続けたんだ。
そんな風におれたちは朝もやの中を足音ひびかせて、首のない鶏のように走り続けたんだ。

革命家.jpg


この話の教訓
鶏男に気をつけろ

[06,04,2000]