とり  いんじん

 ずいぶんながいこと茨城にひたっていきてきてしまったので、もはや茨城の言葉にすっかりなれきってしまって、たいていの方言にはおどろかないんだけど、それでもどうしてもカラダからチカラがぬけてしまう表現というのがあって、それはあの「い」と「え」をさかさにするパターンです。よその土地のひとがしってるかどうかはわからないけど、このあたりでは「い」と「え」の区別がつかないというか、まったく逆に発音するひとが大量にいて、そういうひとと会話をすると、
「どこいってたの?」
「いき」
などといわれてしまい「はて? いきってなんだ?」としばらくひとりでかんがえこみ「ああ、駅のことか」とおもいあたって、カラダからチカラがぬけてしまう。
 わたしが高校で世界史をおそわった先生がこのパターンを忠実にまもるひとで、たとえばわたしが最初の授業でおそわったのは「いんじん」についてでした。いんじんというのは、アウストラなんとかとか、ピテカンなんとかのことです。それからやがて、四大河文明が発生する。オリイント地方のナエル川にはイジプト文明が発展する。イジプトでしいたげられたヘブラエ人は、モーゼのもとにイジプトを脱出する。イホバの神を信ずるかれらはやがてイルサレムを首都とする王国を建設する。エスライルという国です。どうでもいいけどこのエスライルというのは、いまおもいだしただけでもうカラダがヘロヘロになってしまう。
 そんで、はなしことばだけならじつはまだましなのであって、これを書きことばにまで反映させる先生がいて、文字になっているのをみるとダメージも倍増というか、たとえばとうじの数学の先生がそういうひとだったんだけど、この先生が板書をするときわたしは、はらはらしながらそれを見まもったものでした。そうして、先生が板書した文をみて、目を点にしたり、涙にむせんだりした。わたしが涙ながらに見つめる黒板には、こんなことが書かれていたからです。

   よってXが素数となることは ありいない

[28,03,2000]