とり  ショート・ホープ

 たばこをすうひとにはたいてい経験があるとおもうんだけど、こまるのは、家にいてたばこがきれてるのに気がついたときだ。たばこというのはそういうことになっている。これがさむい晩だったりして、今夜はさむいからはやめにねよう、でもねむるまえにたばこを一本だけすおうとおもい、箱をあけるとたばこがない。わかるひとはわかってくれるとおもうけど、たばこというのは、こういうときガマンがきかない。あしたかえばいいや、今夜はガマンしてねむろう、というわけにいかない。それができるのはたばこが必要じゃないひとである。たばこが必要なひとは、すいたいとおもったときにたばこがないというのはガマンできない。上着のポケットだとか、テーブルのしただとか、たばこのありそうなところをさがしまわって、それでもみつからないときはたばこをかいにでかけることになる。せっかくきこんだパジャマからてきとうな服にきがえ、小銭をにぎりしめて、たかがたばこのためにおれはなにをやってるんだ、とやるせない気ぶんで玄関をでることになる。たばこの自動販売機がちかくにあるひとはいいけど、サイハテのマチの一軒家にすんでるひとなんかはヒサンだろうなあとおもう。フブキのなかを懐中電灯かたてにたばこをかいにいくのはたいへんだろうなあとおもう。でもそういうひとはたぶん、たばこをきらしたりはまずしないんだろう。とりあえずおれのところはサイハテのマチではないので、たばこの自動販売機もそんなにとおくないところにいくつかある。いちばんちかいのはJRの駅の、キオスクのわきの自販機だ。サイフからとりだした260円をにぎりしめて駅へでかける。到着する。なにもかんがえず機械に260円を投入する。260円のボタンをおす。切符がでてくる。それを改札にとおし、ホームへいく。電車がくる。のる。座席にこしをおろす。ドアがしまり、電車が発車する。電車にゆられ、車窓からわがやをみる。おれの部屋のあかりがついているのがみえる。そこでふと「ハテ?」とおもう。「なんでおれはこんなところにいるのだろう?」それからおれは、たばこをかうために駅にきたのをおもいだす。ところが駅についたときには当初の目的があやふやになっていて、手に小銭をにぎりしめているので券売機に小銭を投入し、投入したぶんのボタンをおし、切符がでてきたので改札をとおり、改札をとおったので電車にのったのだ、と気づく。バカだとはおもってたけど、おれはここまでバカだったか、とじぶんにあきれる。ニワトリは三歩あるいたらわすれるというけど、それとおなじじゃないか。おまけに、ちょうとぴったりの小銭しかもたずにでかけたので、帰りの電車賃がない。休日の夜、21時43分発上野いき、そんな電車にのっている乗客はまばらで、おれはなさけなさとこころぼそさで目に涙をにじませる。

 これはある冬の夜、ほんとうにあった怖い話だ。ねえ君、じんせいは残酷だとおもわないか?

[13,03,2000]