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→わしの文はひらがなの率がたかいらしくて、そのことはさまざまなひとからしょっちゅう指摘されていて、「なんでそんなにひらがながおおいのか」というのはじつはもう、中学生のころからすでにきかれてたような気がするんだけど、これにかんしてそんなたいした理由はない。コイビトが病院のベッドでおれの手をにぎりしめて「まさおさん、やくそくして‥。かんじはつかわないって‥。おねがい‥ガク」と言い残して死んでったとかなんだとか、そういうドラマを期待したみなさん、いないとおもうけどとにかくみなさん、ごめんなさい。意味ないです、これ。たんなるクセですクセ。クセというか、ほんにんはこれでちょうどいいとおもっているのであって、おれにいわせれば、ほかのひとたちがおおいのだ。おれのくらいのが適正なのだ。などと主張してみてもたぶんおれがまちがっているのだろうとおもうので、そういうことにして話をすすめると、なんでおれのには漢字があまりまざっていないのかその理由をあげてみると、変換するのがめんどくさいっていうのと、変換した漢字がまちがってたらかっこわるい(そういうのはわりとある)というのと、あと手書きのばあいは画数がおおくてかったるいという、たいへん後ろ向きなやつがいくつかあるといえばある。ほんとだったら全部ひらがなでやりたいくらいなんだけど、ぜんぶひらがなだとあんまりバカみたいだし、べつにわしはバカなのでそれでもいいんだけど、なにより読むのがタイヘンなんだよね。そんなわけで気がむいたときにところどころ漢字をまじえて文章をつづるんだけど、そのさいそれなりになんとなく規則はあったりするんだけど(おお。はじめてあかされるこの真実。ぽいう変換には規則性があった! あったのだ諸君! ‥ってびっくりマークをつけるほどのこたあない)、でも例外がおおいし、だいたいそのときの気ぶんにあまりに左右されるので、あてにはならんです。たとえばわしは「も」というひらがながすきなので「も」の字がはいってることばはむしょうにひらがなにしてしまうことがおおい。あるいはたとえばわしは「朝」という漢字をつかわないのだが、これはむかし、その字が名まえにはいっている女の子にふられて、それいらい「朝」の字をみるとせつなくなるので、なるたけつかわない。するとどうなるかというと「一朝一夕」というのをつづるとき「一ちょう一夕」とすることになってしまい、これだとなんのことなのかわからんので、けっきょくは「いっちょういっせき」とぜんぶひらがなにしてしまう。そのたいろいろ、だいたいこういう調子でひらがなばかりがふえていく。
→そんなふうな漢字すくなめかなまじり文で作文するようになってもうずいぶんすぎてしまい、いまさら矯正する気はまったくなくて、そういうわしがのべたところであまり説得力がないとはおもうんだけどいちおうもうしておくと、わしがおもうに、漢字はえらいです。えらいところがいっぱいある。とくに、読むのにいい。読むぶんには、漢字がいっぱいあったほうがはやくていい。たとえば「クリエイティブなアーバンライフをサポートする」というふうに書くんだったら「創造的な都会的生活を援助する」と中国語ふうに書いたほうが、読むのにははやい。ぱっとアタマにはいってくる。わしだと「クリイ〜チブな東京サバクのじんせいをたすける」とかなんとかやってしまうんだけど、それはこのさいどうでもいい。とにかく、漢字がたくさんまじっていたほうがきっと読むぶんにはいいとおもう。
→そんで、わしがこのさいもうしておきたいのは、あの池袋西武デパートの店内案内板である。いまはどうだかしらないけど、わしが学生のころのあすこの案内板ほどやくざなものはなくて、たとえばパンツが買いたいとおもっても、どこにあるんだか、案内板をみただけではわからない。ただしくはおぼえていないのだが、
8F DARK SIDE OF THE MOON
7F SHINE ON YOU CRAZY DIAMOND
6F ATOM,HEART AND MOTHER
‥‥とかいうかんじで、わけのわからん文字列がならんどって、いったいなにがいいたいのか、サッパリわからん。ほんとうに、なにを意味してるのかけんとうがつかん。これでいったいなんの案内板なのか? ぜんたいなんのつもりなのか? あるいはわしをおちょくっておるのか? おちょくられたのか、わしは? それともいつのまにか日本はこういうことになってしまったのか? わしのしらぬまになにかがおこってしまったのか? と、クビをひねりながら、駅のはんたいがわにある東武デパートのほうへいってみると、ちゃんと
4F 紳士服
3F 婦人服
2F 日用雑貨
とかいうふうに書いてあって「ああ、東武はえらい」とおもったりした。西武の案内板は、おれがみてわかんないんだから、おれの母親とかが買い物にいってああいうのをみたら、わからないをとおりこしてきっとかなしくなるとおもう。泣いちゃうよ、へたすると。だいたい案内板なんだから、その主題は「ぱっとみてわかる」というところにあるべきだとおもう。そういうところに漢字をつかってくれなかったら、くろうして漢字をおぼえたかいがないというものだ。小学校の放課後の教室に居残りをさせられて、泣きぬれながら漢字のかきとりをしたかいがないというものだ。そうだろう?
→漢字の欠点をあげるとしたら「書くのがめんどくさい」「まちがってたらバカみたいだ」「簡単な字なのに書けないことだってある」「しかも字がへた」といったところだけど、キーボード文化の普及につれてそういうなやみはすくなくなってってるとおもう。‥なんか、どうでもいいけどこのくだり、ちょっとアカデミックじゃない? 「キーボード文化の普及につれて」なんて、なんか、かしこそうじゃない、きょうのわし? ふふ、よしよし、この調子でつづったるわ。ええと、そんななかで根づよくのこる漢字の欠点といえばこれはもう、おぼえるのが大変、というやつ。まえにドイツのひとと話をしたことがあって「漢字というのはいくつあるんだ?」とたずねられて「しらんけど、たくさんある」とこたえたところ「おまえはいくつしっとるんだ?」とさらにたずねられた。「二千くらいはしってる」とあてずっぽうにいったら、あきれられた。なんでそんなにたくさんおぼえなくちゃならないんだ、タイヘンじゃないか、その労力はもっとほかにむけられるべきじゃないのか、というふうに。あんまりドイツ人があきれるので、わしも「もしかしたらこれはたいへんなことなのかも」とおもいあたった。わしにしても、子供のころだからおぼえられたんだとおもう。かんがえてみれば子供のうちから中国の字とアルハベットと、こんなにいっぱいおぼえさせられるのは、わしらくらいじゃないのか? タイヘンだよな、これ。でももうおぼえちゃったものはしょうがない。もしこれでわしがまだ漢字をおぼえるまえの子供だったとしたら、まよわず漢字廃棄をとなえとるところだけど、おぼえてしまったいじょうは、なんとしても漢字を推進していきたいです。そんなわけでわたくしは、漢字推進派というか漢字擁護派というか漢字奨励派というか、どちらかというとそっちのほうのたちばです。みなさんもっと漢字をつかいましょう。ってわしがいっても説得力がないのはじうぶんわかっています。ほっといてください。
●余談
そんでそのドイツのひとに「ところがそれでも読めない漢字というのはしばしばみるのだ」といったらますますあきれられた。でもじっさいそうなんだからしょうがない。たとえばあの、いぜんの総理大臣の細川護ナントカさん、あの護ナントカが読めない。読めないといういぜんに、しらない。みたことがない。だいたい、このようにキーボードでうちこむことからしてできん。インチキじゃないのか、あの字。なんか、トノサマなんだそうだけど、やっぱりトノサマともなると、名前からしてわしのようなしもじもなものをぐろうするものがあるなあとかんしんしました。
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