とり  1番から99番までのまとめ

 まずはじめにヨーコさんに感謝したい。これからおれは、1番から99番までのまとめとして、いくつかの文章をここにならべるわけだけれど、それを選んでくれたのが彼女だ。だからこうして紹介できる。そうしておれは、彼女みたいなひとがいるから、それでよのなかは成り立っているのだ、とおもう。どうもありがとうヨーコさん。"The Poiu World According To Yoko." ヨーコによるぽいう世界の福音書、とそういうわけだからこのまとめをおれは勝手にこう命名することにして、じゃ、いきます。2000年2月のおれはおおむねこんな人間で、そうしておれがたっている場所にふく風は、こんなです。




川について

→川が流れている。おれの頭のうえを、すぐうえを、川が流れている。いつだって川が流れている。いまも流れている。すぐうえを流れている。その川の話をしたい。

→川のある町で育ったひとになら、説明をしなくたってわかってもらえるだろう。いつだっておれの頭のすぐうえを川が流れている。歴史のはるか彼方でプラトンに発見され「忘却の川」と名づけられたこの有名な川が、おれの頭のうえをいまも休まずに流れている。それでおれは今日もこうしてへらへらとめしを食ったり女の子と寝たり道にツバをはいたり石ころをけとばしたりできる。川の流れが止まるのは、おれが死ぬときだ。死人の頭のうえの川は流れない。

→川は流れる。休まずに流れる。一日の終りにおれは、その日のいろいろなことどもを箱につめてこの川に流す。この川のよいところは、すべてをひとつにして流してしまえるところだ。休まず流れる川の水はおれのすべてを洗い流してくれる。恥や、誇りや、悲しみや、もしそうしたいと望むのなら、夢さえ流してくれる。そんなふうにおれはいろいろなことを川に流し続けてきた。三十年間も欠かさずに流し続けてきた。そしてこれからも流し続ける。

→川には橋が架かっている。ときどきおれはその橋のうえに立って、川の流れを飽きずに眺めていることがある。さまざまなひとたちが小舟に乗って橋の下を通過してゆく。おれには彼らに声をかけることさえできない。黙って彼らが過ぎてゆくのを見守っているだけだ。そんなとき、疑問に思うことがある。
 「川は、どこから流れてきたのか。そして、どこへ流れてゆくのか。」
だが、おれにはわからない。川の水は、ただ静かにおれのまえを流れるだけだ。

→高校二年生のときの話だ。おれは、ある女の子ときっちり一週間おきに橋のたもとで会っていた。彼女も高校二年生で、彼女の通っていた高校は、おれの通っていた高校と12キロメートルも離れていた。おれたちの学校の間には三つの町があり、その三つの町の隙間を水田が埋めていた。おれたちの学校のちょうど中間のあたりを川が流れ、その川にかかる橋のうちでもっとも人の通らない橋を、おれたちは待ち合わせの場に選んだ。おれたちは一週間おきにその橋で待ち合わせ、夕日が落ちてゆくのを眺めながら、川の流れに沿って並んで歩いた。ただもくもくと歩いた。手紙も電話のやりとりもない。彼女とは、ただその橋で待ち合わせをして、並んで土手を歩くだけの関係だった。金曜日の夕方、雨の金曜日も風の金曜日も、おれたちは並んで土手を歩いた。おれたちは、おれたちの町の川が好きだった。約束の場所にはいつも彼女が先に来ていて、川の向こうから吹いてくる風に髪をなびかせながら、水の流れゆく先を見つめていた。その姿を思いだすといまも少しだけ胸が痛む。そうだ、彼女はいつもまっすぐに水の流れてゆく先を見つめていたのだ。おれが近づいてゆくと彼女は嬉しそうにほほえんで、それから首をかしげてこうたずねた。
 「ガムたべる?」
うん、もらうよ、とおれが応えると、彼女は制服のポケットからごそごそとロッテのグリーンガムを二枚だけ取り出して、一枚をおれに渡し、もう一枚を自分の口にいれた。それからおれたちは、ガムをくちゃくちゃとかみながら、ゆっくりと歩きはじめる。しばらく歩いたところに水門がある。そこがおれたちの目的地だった。黙って歩き続けるおれたちの横を、川はいつも静かに流れていた。水門まで歩いてしまうと、おれたちはそこで立ち止まり、川と夕日とお互いの顔を交互に眺めあっていた。夕日が土手のむこうへ沈みきってしまうと、おれたちは満足し、何の約束もせずにそれぞれの家へ帰った。

→そのように半年が過ぎた。

→「もう、こんなふうに会えないの。」
彼女がおれにそういったのは、秋の終りごろだった。その日おれたちはいつものように橋で待ち合わせ、ガムをくちゃくちゃとかみながら水門まで歩いた。水門で彼女は大きく深呼吸をしていっきにそういった。「もう、こんなふうに会えないの。」それからほほえんだ。けれど、泣いていた。そのあとおれたちは、ずっと沈黙していた。ながいながい時間が過ぎて、すっかり日が暮れてから、ためしにおれが、こう提案してみた。
 「じゃあさ、さいごにキスしようよ。」
 「ばか。」
彼女はそう応えた。

→それからも毎週おれは金曜日の夕方になると橋へでかけた。けれど、彼女が現れることはけっしてなかった。おれは橋のうえで夕日が落ちるのを見届けてから、川面に小石をひとつ投げ込んで、そして家に帰った。そのようにして彼女は忘却の川を静かに流れ下り、やがておれも橋へは行かなくなった。彼女を思いだすこともなくなった。

→七年が過ぎた。橋の下を七年ぶんの水が流れた。おれたちは、もう一度だけその橋で待ち合わせをした。おれが約束の時間に橋へゆくと、橋はもう使われてはおらず、そのかわりに新しい大きな橋が架けられていた。かつておれたちが待ち合わせをした橋は、新しい橋の隣りにぽつりと取り残されていた。舗装のあちこちが剥がれ、センターラインも消え、いたるところに草がはえていた。それは、橋の死骸だった。その橋のまんなかで、23歳になった彼女が腰をおろし、川のゆく先を見つめていた。まるで、16歳のときからずっとそうしているみたいだった。おれが近づいてゆくと、彼女は七年まえと同じように、首をかしげてにっこりとほほえんだ。おれは彼女の横に腰をおろし、そこでゆっくりと煙草を一本吸った。おれたちの下を、かわらぬ川が静かに流れていた。

→その川は、いまも流れ続けている。




将棋とブラジャー

 中学生のひと時期、将棋に凝って、寝てもさめても将棋のことしかかんがえなかった季節がありました。授業中も先生の話なんてそっちのけで、頭のなかの将棋盤で駒をうごかしたりしてね。ぐたい的にいうと、中学二年生の梅雨ごろのことなんだけど、おなじクラスにふたり、やっぱり将棋が骨のずいまでしみこんでしまったやつらがいて、やすみ時間に携帯用の将棋盤をとりだして、三人で交互に対局するのがたのしくって、それに熱中して周囲のクラスメートたちの迫害をうけてました。将棋のできる男の子たちはもちろん、将棋がたのしいことはしってるんだけど、それも程度の問題で、あまりにそれにのめりこんでると、距離をおかれてしまう。男の子たちにとって将棋はふつう、たくさんある遊びのうちのひとつにしかすぎなくて、めっぽう強い男の子は尊敬はされるものの、それにばかり時間を費やすようになると、まともにはうけとめてもらえない。おまけに男の子のクラスメートたちの反応はまだましなほうであって、女の子たち一般の、将棋にのめりこんでる男の子たちへの好感度ともなるともう絶望的で、そのころからすでにおれはいまみたいな性格は顕著にあったので、そのあたりの相克にはいささかなやまされました。つまり、女の子たちにはちやほやされたい、それでも将棋はおもしろいったらない、というような相克です。「家でひまな時間には何をしてるの?」と女の子にきかれたときに「専門棋士の棋譜を将棋盤にならべてすごしてる」とこたえて「ひとりで将棋をやってるの? ひとりで? ほんとうに?」となんども念をおされたときの表情をおぼえてます。ゴキブリの交尾をみるようなめつきでした。そのように、おれのいた1970年代のありきたりの中学校の2年1組の教室において、将棋は迫害されてました。原因のひとつには、将棋が根源的にかかえてる、インドアーな、81マスな、とどのつまり内向的な性格にあったとおもいます。ひとことでいってしまうと、はまってしまった人間のやる将棋は、暗かった。おれの個人的な偏見だけれど、はまってしまった人間のやる将棋は、太陽の下よりも、日のささない部屋で静かに、しかし熱くおこなわれるものという性質があって、そうしてそれが、2年1組の女の子たちの多数に、圧倒的に支持されなかったのだ。そうおもいます。それともうひとつ、将棋にはまるやつには、妙なやつがおおかった。おれと学校のやすみ時間に嬉々と将棋を指してたふたりの将棋友達にしても、かたほうはその一年後にキリスト教に凝りだして、「クリタマサオ(こいつはなぜかつねにおれをそのようにフルネームで呼ぶのだった)、君はダーウィンの進化論、あれをどうおもう、おもうにあれは間違ってる、おもうに人間はもとから人間だったし、猿はもとから猿だったんだようんぬんかんぬん(以下5キロバイトほど省略)」だとかなんだとかやりだしておれを辟易させるのだったし、もうかたほうにいたっては、きいたこともないような宗教に凝りだして、「この仏様をおがみだして、医者がさじをなげたわたしの癌が完治しました感謝のしようもありませんブラーブラーブラー」とかなんとかいうたわけた手記ばかりおさめられた本をおれにおしつけてきて、毎あさ教室で「どこまで読んだ? どういうことを感じた?」と判でおしたようにたずねてきやがって、目次だけよんでほっぽりなげたおれを困らせてくれたうえ、さらにごていねいなことにはそれから三年後にとなり町の総合病院の屋上から飛び降り自殺してくれたのでした。そうしてもちろんおれは、将棋、宗教、自殺、それらを選んだかれらが、いまでも愛しくてしかたない。「おれたちは、ほかのクラスメートたちがしらなかった場所をのぞいてたよな」という矜持さえかんじます。はまってしまった少年のする将棋は、そういう場所だったといまでもおれはしんじます。そういうおれなので、その梅雨のひと時期、まえの席の中村智美の背中に透けてるブラジャーの線を断腸のおもいであきらめて、やすみ時間の将棋の宇宙のほうをとり、やがてはそれにさえあきたらなくなって、おれの家で将棋仲間の三人してA級順位戦および名人戦までしっかりと星取表までつくりあげてやらかしだすようになったのでした。そのころおれが住んでた家には床の間のある部屋がひとつだけあって、また三人という人数がちょうどよくて、対局にふたり、記録係にひとり、「振り駒の結果、先手クリタ八段です。それではお願いいたします(一同フカブカと礼)。パチ。先手、7六歩。パチ。後手、3四歩(以下2キロバイトほど省略)」などなどといったことにそろいもそろって酔いしれるしまつで、それどころか、もちろんほかのクラス、ほかの学年にも将棋バカは何人もいて、そういう連中までが集まってきだすといよいよ事態は末期的で、おしまいには棋譜を三手ずつ別室に報告するかかり(これは後輩)、その別室で継ぎ盤研究をするかかり(これはおもに先輩)までがあらわれました。もしももっと人数がいたらきっと大盤解説をするかかりまであらわれたはずだとおもいます。まともにかんがえて、これじゃあ女の子に相手にしてもらえるわけはない。しかも彼らの髪型にはたいてい、ねぐせがついていました。しかも彼らの学生ズボンは例外なく、てかてかでした。女の子に相手してもらえるわけないでしょう? 相手にしてもらえる要素がなにひとつないでしょう? ところが、そのときのおれが感じてたことといえば「もう、将棋ざんまい、楽しくってしかたない」の一語につきて、その証拠に、時の運がわれに味方してたまたま仲間うちの順位戦で優勝、名人戦の挑戦権をえて栄光の対局室にのぞんだとき、おれは祖父のてろてろの和服をひっぱりだしてきて、それをきこんで盤にむかったのでした。ときの名人は一学年うえの、おれより将棋の格がふたつもみっつもうえのひとで、やがて新聞社主催のアマチュア名人戦の県代表になったし、東京大学にも進学したし、わたしはその先輩には何十局も教わりましたが、とうとう最後まで、一番もいれさせてもらえませんでした。それが、おれの頭のなかに、寝てもさめても将棋盤があった時期です。なんとかして、どんな手段でもいいから、先輩に一矢むくいたい、そうおもいつめたおれがもちいたのが奇襲戦法でした。そのたいせつな名人戦の晴れの舞台に、鬼殺し、筋違い角といった、気高い将棋の美とはまったく反対のところにある邪道戦法をもちいて、その権威を汚してしまいました。勝利への執念がおれにそうさせたのだとはいえ、いまさら悔やんでもとりかえしのつかないことです。けれどそうまでしても、棋力に圧倒的の差のある名人に奇襲はつうずるはずもなく、とくに筋違い角のときにははじまってそうそう、芸術的な王手飛車をきめられて、あっというまに将棋を終わらせてしまった恥辱の棋譜が残っています。観戦していた将棋仲間たちはいちように呆れはて、のちのちまでものわらいのタネにされました。人生の汚点です。消しさりたい歴史はかぎりなくあるおれですが、そのうちでも最大の歴史のひとつであるといってもいいすぎではありません。そのごも名人にはこてんぱんにやられつづけて、あのひとに勝つまではと、おれの将棋熱ますますは燃えさかり研究にいそしんだわけですが、さて、そのおれがどうして将棋を投げだしてしまったのかというと、そのころ町民将棋大会があって、それに参加して、その公式戦でおれは、二歩をやりました。ニフです。ニホじゃありません。ニフです。将棋の世界では、有名な禁じ手。有名といってもルールをしらないひとにはわからないでしょうが、そういう反則があるわけです。将棋の常識として、恥ずかしい行為はいくつもありますが、もっとも恥ずかしいのはふたつ、ひとつは王手をうっかりして玉をとられてしまうこと、もうひとつは、そう、二歩です。その二歩禁をおれはおかしました。しかも、じぶんではそれに気づかなくて、そのときの試合の相手は大学生風の、これまたねぐせのついてる髪型ふうのひとだったんですが、おれが二歩をしたあとなかなかつぎの手を指さず、「なんでこんな長考してるんだろう?」とおれがいぶかしみはじめたそのときに、とんとん、と、将棋盤の、おれの歩がふたつある筋をたたいて、それから、無言でおれの顔をみあげました。「ねえきみ、ここ、これ、わかってる?」というふうに。気づいたとき、おれは、全身の血が逆流しました。おれは「すみませんでした」と謝って、恥ずかしさでその場所にいられず、席をたって、そのまま家に帰りました。十三歳という、もっとも盤のうえがみわたせる年齢に二歩をしてしまったら、将棋じんせいはそこでおわりです。おれは、じぶんの才能のなさをそこでいたいほど感じとり、たぶん必要以上に感じとり、それで将棋熱がいっぺんにさめました。一晩ねたらけろりと風邪がなおってしまったみたいに。ほんとうのところ、自我がつよいとしごろだったので、二歩の件があまりにみじめで、将棋の駒をみただけでドキっとしてしまって、将棋を指せなくなってしまった。そうしておれは、いままで将棋のかげにかくれていたもうひとりのおのれのいうところにしたがって将棋をうっちゃって、そう、授業中に頭のなかの将棋盤の駒を動かしたりはせずに、そのかわりにまえの席の中村智美のブラジャーのホックをはずして彼女とじゃれあうことに興味をみいだすようになっていったのでした。




★★★

 もうずいぶんむかしのことなんだけど、兵隊のともだちができて、なんどか基地へ遊びにいったことがある。こんな話、だれにもしたことない。いまはじめて話してる。基地へ遊びにいったことがある。そこでおれはでたらめに英語をおぼえ、AC/DCを聴き(兵隊たちはほんとうにAC/DCがすきだった)、ユメの世界へあそびにいった。そんなふうにユメをみることはこのくにでは法律で禁止されてるんだけど、兵隊たちはこのくにのひとではないのでへいちゃらだった。ところで、それをやればだれでもがただちにちがう世界へいけるみたいにおもってるひとがいたとしたら、それはあまりただしくない。じっさいはそういうわけでもない。そこにはかなりの個人差がある。すこしばかりの量でかんたんにむこうにいってしまえる者もいれば、どんなにがんばっても、なかなかむこうにいけない者もいる。そのときの体調や精神状態もおおいに関係する。それによって、かんたんにいけてしまうこともあれば最後までいけないこともある。いけそうでいけない状態でもがいてるのは、けっこうくるしい。幸運なことにおれのばあいは、てがるにいけてしまう体質だった。体質だけじゃなく、いきかたのコツものみこんでた。たぶん、なかなかいけないというひとは、いきかたをしらないんじゃないかとおもう。せっかくの機会だから、それを紹介しておきたい。なに、話はかんたんだ。胸のまんなかに気もちを集中して、したから、床のしたから、あの未知のちからがわいてくるのを待てばいい。それだけ。かならずやってくる、そうしんじて、呼吸をとめて、じっと待ってればいい。するとほんとうにやってくる。それは一瞬だ。津波みたいにやってくる。波はおれをふくめて地球ごとのみこんでしまう。そこからさきは、もう、あっちがわの世界。そこではいろいろなユメをみる。女神さまにあえることもある。死人に追いたてられることもある。なんでもありの世界だ。楽しい世界へいけることもあれば、わるい世界へいっちゃうことだってある。おれはそこで、ひどいユメをみた。ひどいひどいひどいユメだ。それは、たくさんの世界がずらりとならんでいるユメだった。ひとつの山のなかにトンネルが無数にほられてるみたいだった。そのトンネルのいっぽんいっぽんが、それぞれひとつの世界だった。それがびっしりとならんでる。おれはそのうちの、どれかのトンネルのなかにいる。そこで生活している。ところが、なにかの拍子に、おれは、べつなトンネルにうつってしまう。からだのなかで「プツ」っていうかすかな音がする。そして目をさますと、そこは、さっきまでおれがいた世界とはちがっている。なにがちがっているかというと、時間がちがっている。おれは高校生で、これから学校へいこうと自転車にまたがったところだったのに、からだのなかでなにかがかすかにはじける音がして、目をさますとそこは大学の教室のなかだ。さっきまでおれがいた世界がどこにいってしまったのかはわからない、ともかく、おれはおれで、おれを取り囲んでいる世界だけが、すっかりといれかわってしまったのだ。いまさらしかたない、おれはそこでいったん子供のときの気もちをおもいだし、なにもかもうけいれることにしてあたらしい生活をはじめる。ところが、一時間ほどすると、またあの音がして、おれは違う世界にずれてしまう。しかも、だんだんとずれる感覚がみじかくなってゆく。一時間おきにずれていたのが三十分おきになり、十分おきになり、五分おきになり、一分おきになり、十秒おきになり、一秒おきになり、しまいにはずれっぱなしになってしまう。プツプツプツプツとおれのなかでなにかがはじけつづけている。その音に連動して、まわりの世界がかわってゆく。おれはトンネルからトンネルへとずれつづけている。それぞれのトンネルにはそれぞれの時間がながれていて、それぞれのトンネルにはそれぞれのひとびとがいて、たくさんのひとがおれをのぞきこんでいる。どうしましたか、顔いろがわるいですよ、それはいけませんね、おかわいそうに、あなたはここにはきてはいけなかったのですよ、いいですか、「ここにはきてはいけなかったのですよ。」おれはおれのからだのなかにいておびえている、目のあなからおれはむこうをうかがっている、それはどんどん変化してゆく、まるでスライドをみせられているみたいだ、それはカチカチカチカチとどんどん変化してゆく、おれのなかで音がするたびに変化する、おれのからだのなかでおれはとりみだしている、たすけてくれ、おお、たすけてくれ、おれはあばれている、そのときおれはそこで、この世の秘密をみた気がする、だけどそれがなんだったのか、おぼえていない、そのことだけがこころのこりだ。しばらくもがいているうちに、ずれる感覚がおくれてきた。鳴りつづけていたからだのなかのはじける音が一秒おきになり、十秒おきになり、一分おきになり、十分おきになった。最初におれが正気をとりもどしたとき、おれはナオミさんの部屋にいた。「だいじょうぶ?」ナオミさんがおれをのぞきこんでいる。彼女は手にコップを持っている。「顔色がわるいよ。これを飲みなさい。」ナオミさんはおれにコップをくれた。水がはいっていた。それをいっきに飲みほして、液体が食道をくだってゆく感触をたしかめて、なんども深く呼吸をして、やっと落ち着きをとりもどしたおれに、彼女が話しかけてきた。「こわいユメをみたんでしょう?」それでおれははじめてじぶんがわるいユメの世界にいっていたことに気づいた。「うん。こわいユメだったよ、すごくこわかった、こわかったよ。」ところが、そのとき、わるい予感がとつぜんおれのなかにわきあがってきた。おれはそのことを口にしてはいけなかったのだ。あそこへいったことを口にしてはいけなかったのだ。そのことに気づいたとき、おれのからだのなかで「プツ」っと音がして、からだがまえのめりに倒れてゆくような感覚がして、気がつくとおれは違うところにいた。基地のプールサイドにおれは兵隊と腰かけていた。まだユメは続いていたのだ。そこでおれは事態をのみこもうと考えたが、考えるだけむだだった。どうなっているのかもわからないし、どうしたらいいのかもわからない。おれは兵隊に事情を話し、そして「まじめな話だ、だからどうかまじめにこたえてほしい、おれはどこにいるんだ?」とたずねた。そのときおれははじめて兵隊に「フラッシュバック」という言葉をおそわった。「いまおまえは、フラッシュバックしているのだ、だけどおそれることはない、ここはユメなんかではないんだよ、おまえはもう帰ってきているんだよ。」かれはそういっておれをはげましてくれた。おれはその言葉をしんじ、すなおに安心した。そのとたん、からだのなかで音がして、それでおれは絶望した。




裸のスージー

 彼女をスージーとよぶことにして、スージーの話をする。
 そのときおれは浪人で、スージーは東京大学生だった。東京大学生だったが、スージーはじぶんの住所も家族構成もいうことができなかった。じぶんの名前すらいうことができなかった。スージーはろうあではなかった。ではなぜ、名前すらいうことができなかったのかというと、スージーは極端に内向的な性格だったのだ。水道橋の喫茶店ではじめてスージーを紹介されたとき、けっきょくおれは最後までスージーの声をきくことができなかった。それでおれはスージーのかわりにスージーが飲みそうな注文までしてあげなければならなかった。いったいどうしてそんな女の子ができてしまったのかはわからない。どういう育てかたをすればそんなにまで奥ゆかしい女の子ができあがるのだろう。そんな調子でどうやって19年もじんせいをやらかしてこれたのだろう。おれにはわからん。それでもおれは、スージーをそういう作品につくりあげた芸術家の職業はしっている。スージーをつくりあげた芸術家というのは、スージーの父母のことだ。その職業をしっている。なんどかスージーの家へ行ったことがある。その庭にはさまざまな道しるべが林のように立てられていた。それらの道しるべには
「BERLIN8900km」「PEKING2100km」「PARIS9711km」「CAIRO9550km」「LONDON9560km」「SYDNEY7831km」「RIODEJANEIRO18561km」「SANFRANCISCO8264km」「STOCKHOLM8129km」「SINGAPORES5322km」「MOSKVA7479km」
といったことが書かれていた。ためしにここで、ありきたりの民家の庭に「BERLIN8900km」と書かれた道しるべが立っているところを想像してみてほしい。そして、できるものなら、それを見てどんな気もちがするかを想像してみてほしい。おそらく想像できないとおもう。ありきたりの日本国の民家の庭に「BERLIN8900km」と書かれた道しるべを見てどんな気もちになるかは、ありきたりの民家の庭に「BERLIN8900km」と書かれた道しるべを見た者にしかわからない。その道しるべを立てたのは、スージーの父親で、高等学校の地理の教師だった。それからおれが案内されたのは家のすみのちいさな部屋だ。その部屋の壁のひとつは、ミノムシで埋めつくされていた。びっしりと、数千匹のミノムシが壁にへばりついていた。その壁をミノムシで埋めたのはスージーの母親で、高等学校の生物の教師だった。道しるべの父とミノムシの母によってスージーは長じた。そしてスージーがおれのまえに現れたとき、そのようだった。くりかえすが、スージーは19歳になってもまだじぶんの名前を初対面の人間にいうことができなかった。だからおれはスージーに会って以来、日本国の教師の資質にかんして重大な懸念をいだいている。
 スージーがかつて精神科医の治療を受けていたことがあったのは知っていた。スージーは中学三年生のときに、授業中の教室で高らかに放屁してしまい、その音を級友にわらわれて一時的に登校拒否症になり、精神科医の治療を受けていたことは彼女のともだちに聞いていた。そのともだちによるとそのころのスージーは口臭がひどかったそうだ。「口臭?」おれがそうききかえすと、彼女はこう応えた。「そのころスージーがのんでいたくすりのせいだとおもう。スージーはいつも眠そうにしていて、ひどい臭いのする息をはいていたわ」おれがスージーとしりあったときは、もう彼女はひどい臭いのする息ははいていなかったが、精神的に不安定なものはまだまだ残っていたとおもう。たとえばおれの部屋でふたりで過ごしているときに、彼女はとつぜん大粒の涙をぽろぽろと流し、おれの肩をつかんで「行かないで、行かないで」と叫びだしたりする。その直前までスージーは、ごくふつうにおれと一緒にシロクロのテレビを眺めていた。それがとつぜん涙を流して叫びだすのだ。彼女がいつもなにを考えているのか、彼女の神秘的なアタマのなかがどうなっているのか、そのきれはしでさえ、おれにわかったためしはいちどもない。スージーがそんなふうに感情を爆発させてしまったときは、おれはだまって優しく彼女の髪をなでつづけた。彼女の髪をなでながら「どうやってつきはなしたら、この女がいちばん傷つくだろう」ということについて考えていた。彼女がおれに泣きついてくるたび、おれは彼女の背中にまわした手でその回数を指折り数えていた。これで三回目、これで七回目、というふうに。それが両手では数えきれなくなったころに、おれはかねてから計画していたことを実践した。スージーがいちばん傷つくだろうと思われる方法でおれは彼女をつきはなしたのだ。そして、それから三か月ほどして、彼女が新宿区にある大学病院の精神科に入院したことを聞かされた。おれは、なんてことをしでかしちゃったんだろう。
 四年後、スージーから電話があった。深夜だった。夜陰にまぎれて電話のベルが鳴り、でてみるとスージーだった。四年間、われわれはまったくの音信不通だった。四年間、会ったこともなければ電話で話したこともなかった。手紙もハガキもなかった。いまもおぼえている。四年ぶりに話すスージーの最初のあいさつは、こうだった。「あたしはどこから来たの?」なつかしいスージーの声だった。おれがだまっているとスージーはさらにたずねてきた。「どうして人間は平等ではないの?」「どうすればしあわせになれるの?」おれにはそれらの質問のどれひとつにも答えてやれることができなかった。それともだれか、彼女になにか答えてやることができますか? おれにはできない。かわりにおれはそこにあった文庫本を手にをとり、それを彼女に朗読して聞かせた。「共産党宣言」という表題の本だった。おれが朗読をはじめると、スージーはしずかになった。それからもときどき、スージーはおれに電話をくれる。そのつどおれは彼女に、手元にある本を読んで聞かせている。おれが朗読をはじめると彼女は黙ってそれに聞きいっている。かすかにうなずく声がする。おれはそんなスージーの髪をなでてやりたくなる。こんどこそ、こっそりと指をおったりはせずに。髪をなでてやりたくなる。そうすればスージーはきっと、みちたりた猫みたいに喉をごろごろさせてマルクス・エンゲルスの教えに耳を傾けたことだろう。
 友人たちよ、どうか教えてほしい。いつか、きっとまたスージーにおなじ質問をされることをおれはしっている。そのときのために、どうか教えてほしい。おれたちはどこから来たのか。どうしておれたちは平等でないのか、どうすればおれたちはしあわせになれるのか。友人よ、どうか教えてほしい。




スナムグリ

→トシヨリがすきだ。などととつぜんわけのわからんことをいいだすと、いきなりよんでるひとにひかれてしまいそうだけど、じっさいおれはトシヨリがすきだ。それはもしかしたらおれの生い立ちと関係があるのかもしれない。おれは祖父母によって長じたにんげんだ。幼稚園にあがるまでの時間のおおくを祖父母と、近所の子と、半ダースばかりのチャボとすごした。おかげでおれはいまだにトシヨリと子供とニワトリがすきである。
→とうじおれの祖母は、どういうわけかこのおれをわらわせることにナミナミならない執念をもやしていて、おれを笑わせるためならおもいつくかぎりのありとあらゆる作戦手段を講じるひとで、だからおれは祖母といっしょにいるあいだじゅうつねに、ハラの皮がよじれるおもいをさせられつづけていた。げんざいのおれのユーモアのセンスのほとんどは、この祖母から学んだものだといってもいい。もしもこれからおれがここでする作文で、だれかを笑わせることができたなら、どうか祖母に感謝してください。そのユーモアの99パーセントまでは祖母から学んだものだからだ。残りの1パーセントは加藤茶から学んだ。その祖母はすでにこの世にいないが、親戚にはまだまだしつこくこの世にしがみついているトシヨリが大量にいる。トシヨリたちは、なぜだかみんな例外なく、おもしろいことをいうことができる。
→いぜん母がたの姉たちとその配偶者が中心となって宴会をした。親戚はみな百姓だ。みなさん、百姓の宴会ってしってますか? おれのしるかぎり、こんなすごい宴会はない。これほど壮絶なまでに抱腹絶倒な宴会はほかにない。それはもう「おれはこのまま笑いころされてしまうのか?」と生命の危険すらかんじるほどである。そういうわけだから、百姓の宴会をしらないかたは、ゼヒいちど体験してもらいたいとおもう。ああ、だけどたぶん、言葉がわからないから、そううまくはいかないのかもしれない。どこの土地でも農業のひとたちの言葉は強烈だし、その微妙なニュアンスまではなかなかおぼえられないし。さっきも話したとおり、おれは祖父母にそだてられたにんげんだ。だからこの土地の言葉はとくいだ。方言がとくいであることのよい点は、トシヨリと話ができる、この一点につきる。トシヨリのいうことがわかる、トシヨリのとばしたギャグが理解できる、この一点につきる。その親戚の宴会の日、おれは「シモチョブのバア」とよばれるバア様とずっと話しこんでいたのだが、最初から最後までハラの皮がよじれるおもいをさせられた。シモチョブのバアはタダモノではない。このバアもまた、ほかのバアとおなじで、スキあらば他人を笑わせようと、残りすくなくなったじんせいの情熱のすべてをその一事にささげているバアである。だから、おれのような小僧は、ほんとうに赤子の手をひねるように笑いころがされてしまう。話そのもののおかしさと、それを話すシモチョブのバアのたくみな間合いや表情やしぐさに、しまいにはヒイヒイとのたうちまわされているじぶんに気づく。おかげでそのときどんな話をきかされたものだか、おれにはほとんど記憶がない。ただひとつおぼえているのは、スナムグリというあたらしい言葉をおぼえたことだ。シモチョブのバアはいった。
「オレなんかんめ、オンナだがらいんだ、ションベンしっとぎもパンツおろさいんだがら」
「ほげ」(おれのアイヅチ)
「んだげどオドゴたいへんだ、モモシキ、ハー二まいもおろしてない、よういでねど、これはよういでねど、もれっちゃど」
「んだ」(おれのアイヅチ)
「ほーんでモモシキおろしてチンポコへっつがんでもない、チンポコハー、スナムグリでつかめねがんな、よういでねよういでね、としとっちゃメドもめっかんねしねがんない」
→というわけでどうやらスナムグリというのは、チンポコがさむさなどでちぢこまり、フグリ方面にうずくまってしまっている状態をさすものならしいです。方言はふかい。

●注「シモチョブのバア」について:シモチョブのバアというのはおれにとっては叔母にあたる。厳密にいえばおれが「バア」とよぶスジではないのだが、それはこのさい関係ない。おれたちはそれがだれであろうと、そのひとに孫があれば「ジイ」「バア」とよぶ。年齢も血縁も関係ない。ジイ、バアの資格は、そのひとに孫があるかないかにつきる。たとえばおれの両親はまだ孫がないので親戚から愛称でよばれる。父は「ジロサ」、母は「フミ」である。これでおれに子ができれば、とたんにおれの両親もジイ、バアの仲間いりとなる。だれからもそうよばれるようになる。そういうことになっている。そういうことだから親戚じゅうにジイとバアがいりみだれていて、ややこしいことこのうえないが、せんじつの宴会のようなさいは屋号やすんでいる地名をつかって区分することになっている。この作文にでてきたシモチョブのバアの「シモチョブ」とは地名である。どうでもいいけどこんなふうに「である」を多用すると、なんだかアタマのいいことをかいてるみたいでかっこいいのである。であるである。




東尾作文

 それはわしが二十歳のときで、めずらしく家に帰っていた晩のことである。電話のベルが鳴って、でてみると、東尾さんからだった。わしはとてもびっくりするのとどうじに、こころからよろこんだ。東尾さんはとうじのわしの大学のクラスメートで、わしが好きだった女の子だったのだ。それはほとんどヒトメボレというやつだった。はじめて彼女と教室でいっしょになって、彼女をひとめみて、わしは息をのみ、ドキドキドキドキして、あとは夢みごこちであった。その授業が終わるとすぐにわしは彼女を喫茶店に誘い、そこですこし話をして、それでわしは彼女のことが本気ですきになった。いかれてしまったのだ。けっきょく彼女とは、手をにぎることもできぬまま、わしは大学をやめてゆくのだが、それでもわしは東尾さんがずっとすきだった。おくめんもなくいうが、それは純愛であった。そのころのわしの夢は、枯れ葉散るスズカケの道(そういう名所が学内にあった)を東尾さんとふたりで歩き、だれもいないのをみはからって、東尾さんのくちびるを奪うことであった。そして唇をはずすと、とつぜんせっぷんをされた東尾さんは驚いてわしを眺めておる。その東尾さんの美しい瞳を十秒みつめ、「ごめんっ」と叫んで走って逃げるのがそのころのわしの夢だったのだ。その光景を夜中にひとりふとんのなかで想像しては「これしかないっ、これしかないっ」などとわめいていたのだ。ここでくれぐれもみなさんにことわっておきたいのだが、わしはオクテである。わしはめったにムスメをすきになったことがなかったが、いちどすきになってしまうと、そのムスメのまえでは、平常心をたもつことができなくなる。ひらたくいうと、あがってしまうのだ。あがってしまって、いいたいことの十分の一も話すことができなくなる。わしは本気で東尾さんがすきだったのだが、そのようなオクテであったがゆえに、まるでくどけぬまま、いつまでもいじいじと彼女のことをおもいつづけておったのであった。東尾さんもまた、わしのことをすいておってくれていたようにおもう。確認したわけではないので、これはわしのただの思いあがりにすぎないかもしれん。そういう可能性はある。それでもわしは、もしかしたら東尾さんもまた、わしをすいてくれておるのではないかという気はとてもしていた。それでなにゆえわしと東尾さんがスズカケの道でせっぷんをかわせなんだのかといえば、これはひとえにわしのせいにほかならない。おまけにわしは、東尾さんの気もちをふみにじることばかりやらかしていた。そのころわしは、どちらかというと、女にもてた。どちらかというと、気がくるうほどもてた。さらにわしは、くる者はすべて拒まないタチであったゆえ、可能なかぎりわしの人類愛をムスメたちにそそぐようにつとめておった。ところが、あとになってしったことだが、その行状はちくいち東尾さんの耳にもはいっていたらしい。世間の風というのはかくもつめたいものである。しかし、わしにとっては、そのほかのムスメはすべて人類愛にすぎなかったが、東尾さんだけは、純愛だったのだ。月とすっぽんのインモ〜くらいの違いがあったのだ。そのことを東尾さんにわかってもらえる機会もなくいつのまにかハナレバナレになってしまったのは、ひじょうに残念だ。話がだらだらしてきたので、とつぜんだがここで冒頭に戻る。東尾さんからはじめて電話をもらってわしは有頂天であった。用事はないようであった。ただ、世間話をするために東尾さんはわしに電話をしてきてくれたようであった。われわれはながく話しあった。東尾さんが電話を終えるようなソブリをみせたときは、わしは必死になって話題を探し、知力のかぎりをつくして東尾さんをわらわせた。なかなか盛りあがった電話であった。しあわせはそのように、おもいがけないときにやってくる。だが、不幸もまた、おもいがけないときにやってくる。さよう、そのながい電話のさいちゅうにわしは、もよおしてしまったのだ。なにをもよおしたかといえば、もちろん尿意である。これをもよおしてしまった。それは、はじめはたわいのないサザ波であったが、やがて強風波浪注意報となり、しまいにはオオシケとなって荒れくるいはじめた。しかもわしにはそのことを東尾さんに伝える勇気がなかった。わしはあまりに東尾さんを偶像化していたため、彼女のまえで「おしっこしたい」などということは、たとえ天地がひっくり返ってボーコーが破裂しようともできないことだったのだ。電話の相手が東尾さん以外のものであったなら、だれであろうと、「小便をひってくるからそこで待っておれ」といいおいてさっさと便所にかけこむところなのだが、東尾さんだけはちがったのだ。尿意の波は無情にもわしを襲いつづけた。もよおす感覚はどんどんみじかくなり、その波はおおきくなりつづけた。わしはその波によく耐えた。にんげん、せっぱつまると、じぶんでも信じられないくらいのガマンがきくものである。もう二度と、あれほど小便を耐えることはできないであろう。それほど耐えた。だが、そのガマンにも限界があった。わしは電話器を持って部屋のなかをうろうろ歩きまわっていた。尿意はもはやマダンなくわしを襲いつづけ、それと闘うわしの全身にあぶら汗が流れていた。あまりの尿意で意識が遠のきつつあった。遠のきつつある意識のなかで、圧倒的な尿意と闘いつつ、しかも東尾さんとは電話でたわいのない会話をかわしつつ、最初にわしが確認したのは、電話線の長さであった。電話器を持ったまま便所にゆくことはできないだろうかと考えたのだ。だがそれは無理な相談であった。電話線はあまりにみじかかった。それから考えたのは、窓をあけてそこから屋外へと放尿するという案である。それはわるくない考えであるようにおもわれた。深夜であった。わしの家は田舎の一軒家であった。だれかにみとがめられるという可能性はうすい。事態は刻々とのっぴきならない状態にさしかかりつつある。もはやシンボウたまらず、その案を実行しようとしたとき、わしは、わしのまえの本だなにある花ビンに気づいた。電話器を左手に持ちかえ、受話器を肩と耳ではさみ、あいた右手でそれをつかんで覗いてみると、なかは空っぽであった。もはやわしにはいかなる選択の余地も、いかなる猶予もなかった。ズボンとパンツをずりさげ、性器をその穴にあてがい、わしは勢いよく放尿をはじめた。あまりの快感に、わしはおもわず声をあげてしまいそうであった。花ビンの底にあたった尿は、音をたてた。その音におどろいたわしは、尿の勢いを抑えた。ちょろちょろと流れる尿はいつまでもつづいた。一分たっても終わるきざしをみせなかった。わしは放尿をつづけながらも、しっかりと電話では東尾さんと会話をつづけていた。わしは立っていた。左手に電話器を持ち、右手に花ビンをもって股間にあてがい、放尿していた。そういう状況で東尾さんと電話で会話していたのだ。ところが、一難さってまた一難、こんどはその花ビンが、尿で重くなりはじめた。花ビンは太いだ円形をしていた。とってはなかった。くぼみもなかった。そもそも片手ではとても持ちづらい形をしていた。わしはそれをわしづかみにして、性器にあてがっていた。それが、尿のために、おそろしく重くなりはじめていた。しかも、それは重くなりつづけていた。それを持つわしの右手がわなわなとふるえはじめた。だが放尿は止まる気配がない。わしは花ビンを床におとして、割れた花ビンからその内容があたりに散らばることを想像し、しんそこ恐怖した。それは細胞レベルの恐怖であったといえる。その重さにもわしはよく耐えぬいた。あのときの苦労をおもうと、わしは、これからのわしのじんせいにいかなる困難がまちうけていようとも、すべてを乗りこえられるのではないかという自信がわいてくる。尿が終わるとどうじにわしは、性器をしまうことさえほっぽりおいて、ひとまずその花ビンを床におろした。それからパンツとズボンをずりあげることもわすれ、なにごともなかったかのように東尾さんとの電話をつづけた。花ビンのなかにはわしのほかほかの尿がナミナミとはいっていて、ちゃぷちゃぷと揺れていた。




『正直ナヤミ相談室』

 むかしむかし、おれにも中学生だったことはあって、放課後の教室のすみにころがっていた中学生むけの雑誌の、読者からの悩み相談コーナーのページをながめていると、こんな相談にでくわした。

相談:十四歳男子です。最近僕は変なんです。クラスメートの女子たちの胸やおしりのあたりが気にかかって、授業中なんかも、そっちのほうにばかり目がいってしまうんです。もちろん家にいるときもそんなことばかり考えてしまって、勉強も手につきません。僕は病気なんでしょうか。

 ちょうどおなじ悩みをかかえていた中学生だったおれは、興味ぶかくその回答をよんだ。

回答:病気ではありません。それは思春期の男子が大人になる過程で、誰もが経験することなのです。ただ、そのせいで勉強がおろそかになってしまうのは考えものですね。スポーツで思いきり汗を流して、発散させましょう。

 この回答には、どんなにすくわれたおもいがしたことだろう。おれは病気じゃない。病気じゃなかったんだ。雑誌のページを頭のうえにかざしてそうさけびながら、その場でおどりはじめたい気ぶんだった。
 けれど、いまになってシミジミとかんがえてみると、どうも「だまされた」という気がしてならない。「だましてる」とまではいえないかもしれないが、すくなくとも、「ごまかしてる」とおもう。それも、肝心なところをごまかしてる。これだけポルノグラフィーがはんらんしてる1999年の日本で、こんな素朴な悩みをかかえてる中学生の男の子がまだいるかどうかはちょっと疑問だけれど、もしもおれがかれらからこれとおなじ悩みをうちあけられたなら、こういう、その場しのぎみたいないいかげんな回答はせずに、肝心なところをごまかしたりせずに、正直に、こうこたえてあげたいとおもう。

回答:病気です。いつなおるのか、わたしにもまったく見当がつきません。なにしろ、わたしもいまだにおなじ病気でなやんでいるまっさいちゅうなのですから。きっと、九十五歳くらいになればすこしはおさまるのではないかとおもいます。そう信じて、おたがいがんばりましょう。






電源コードをはめなおせ

「っかし、おまえとのむ酒はほんと〜にまずい。」
→スンダイはおれの目をみてそういった。ほんきでいってるらしかった。たしかにスンダイはなにかにハラをたてているらしかった。
「ばかやろう、おまえにいわれたかねえよ。」
→おれはそうこたえた。おれもハラをたてていた。ハラがたってハラがたってしかたがなかった。百貨店のショウウィンドウの、クリスマスの飾り付けにハラをたてていた。ねんがらねんじゅう道をつくったりこわしたり、建物をつくったりこわしたりしている池袋の街にもハラをたてていた。うそっぱちしかかかれていない広告のポスターにもハラをたてていた。そのたいろいろ。みんなにハラをたてていた。道ですれちがった男に、目があったというだけでケンカをうる、そういうハラのたてかただった。ハラをたてる材料をさがすために街をあるいてるようなものだった。スンダイとおれは、そういうとしごろだった。
「だいたいおまえ、クリスマスだってのに、いっしょにすごしてくれるやつはいねえのかよ」
→おれたちは、ロマンス通りの「大都会」というていきゅうな酒場でわるい酒をエンエンとのんで、でたらめに酔っぱらっていた。おれはスンダイが大嫌いだった。たぶん、おれと似てたからだ。おれはそれがガマンならなかった。スンダイもおれを嫌ってるみたいだった。のぞむところだった。おれたちは、クリスマスの晩にふたりきりですごすには、最悪のコンビだった。スンダイとおれは、おなじバンドのドラムとベースで、おたがいに悪態をつくためにいっしょに音楽をやってるようなものだった。おたがいにひたすらに憎悪しあい、それを表明するためにいっしょにいるようなものだった。
「ばかやろう、おまえこそどうなんだ。あのいんちきクラブの勧誘の、ブサイクな女はどうした。ははは、もうふられたか。」
→にもかかわらず、スンダイとおれはふたりきりで酒をのむことがおおかった。ふたりきりになってしまうことがおおかった、というべきだとおもう。おれたちがすぐにケンカをはじめて、ほかの仲間がいなくなってしまうからだ。ふたりきりになってもおれたちはケンカをやめなかった。話題なんてなんだってかまわない。とにかく相手の意見を否定することだけにおれたちは情熱を燃やしつづけてた。そう、そのころからおれは、ムダなことに情熱をもやすおとこだった。
「ブブブブブブサイクだとこのやろう、すくなくともナオちゃんはてめえのブサイクな女よりは百倍もかわいいぞこのやろう。」
「なんだと? てめえ、おれのカオルちゃんがてめえの女よりブサイクだってのかこのやろう。」
「なんだこのやろう。」
「このやろう。」
→たいていはそういう調子だった。だがこの晩は、ここからが違った。
「じゃ、てめえ、その女を賭けるか?」
→そんな建設的な提案がでたのは初めてだった。
「なにい?」
「てめえはその女を賭けるか? どうせてめえにはそんな根性はねえんだろ?」
「てめえは賭けるのか?」
「あたりめえだ。」
「ようし、やったろうじゃねえかバカヤロウ。」
「うるせえバカヤロウ。」
→たしかにおれたちはバカヤロウだった。
→女を賭ける、というのはつまり賭けをして勝ったほうが、負けたほうの女とやれるということだ。たしかにおれたちはバカだったが、それでも、賭けをしてからそれを反故にするのは「ぜったいにしてはいけないこと」だというルールくらいはしっていた。だから、ほんとのことをいえばおれは、こんな賭けなんてしたくなかった。いきがかりでそんなことになってしまったが、ほんとうはやりたくなかった。できることなら逃げだしたかった。自信がなかったわけじゃない。だけど、とくにあったわけでもない。勝つかもしれないが、負けるかもしれない。そして、勝ったときに得るものとくらべて、負けたときに失うもののほうがおおきすぎる。そのとき賭けた女の子をおれはとくべつに大切におもってたわけではなかったが、それでもどうしても負けるわけにはいかない。負けられるはずがない。もし負けちゃったら、おれはどうしたらいいんだ? 負けられるはずがない。だけど、たとえ勝てたにしても、得るものなんかなにもない。おれはそう思った。だが、それでもそこから逃げだすわけにはいかなかった。それは、おそらく、スンダイにしてもおなじことだった。やりたくない。でも、ひきかえすこともできない。そんなふうにこまりながら、スンダイとおれは、ロマンス通りのゲームセンターのゼビウスのまえに対座していた。
→ゼビウス。そうだ、ゼビウス、そのビデオ・ゲームに対するおれたちの熱いおもいを言葉で表現するのはむずかしい。1983年のアーケードを席巻したナムコ社の傑作、さまざまな伝説をうんだ縦スクロールのシューティングゲーム。スンダイとおれはゼビウスとともにその年号をかけぬけた。麻布の高校生のグループが作成した「一千万点への解法」という小冊子が流布するいぜんの、みんながおのれの経験則だけを頼りにソルバルウを飛ばしていた時期の話だ。その時期、スンダイおれは、なにかにとりつかれたみたいにゼビウスにコインを投入しつづけた。指の皮がすりむけてもおれたちはやめなかった。熱く勃起したチンポコをにぎるみたいにおれたちはレバーをにぎりつづけた。ゼビウスにむかうのをやめたとき、それはいつものことだったが、おれたちはなにも得なかった。ついやされた時間とコインとエネルギーのかすがうしろに残っているだけだ。それはいつものことだったし、そうなることはおれたちにもわかっていた。それでもスンダイとおれはコインをにぎりしめてゲームセンターへ通いつづけた。そのころのスンダイのベストスコアが50万点をすこし越えたところで、それはおれとおなじレベルだった。おれたちのゼビウスはいい勝負だった。
「なにびびってんだよ、顔がひきつってるじゃねえか、やめるならいまのうちだぞ。」
「てめえこそやけにハナイキが荒いじゃねえか、そんなんじゃ勝てっこねえぞ、いまあやまれば許してやるぞ、おれはてめえのブスな女となんかべつにやりたくねえんだ。」
「うるせえばかやろう、とっとと100円ダマぶちこみやがれ。」
→ゲームがはじまった。スンダイの先攻だった。女を賭けるというのは、たとえば映画や物語なんかだとときどきみかけるけど、じっさいにやってみると、それはものすごく興奮する賭けだった。冗談ぬきで、小便をちびりそうになるほど興奮をする賭けだった。緊張のあまり、心臓がくちからとびでるんじゃないかと感じてるおれのまえで、みなれた1円玉(とその敵キャラクターをおれたちはよんでいた)が回転しながら画面をすりぬけてゆく。スンダイは、衝動的なゼビウスを展開する。カンでやっつけていくタイプの典型だ。ときおりしんじられないようなミスをおかしたが、いちど勢いにのるとなにものもスンダイの侵攻をとめることはできなかった。のりさえつかめば、いかなる難面をもスンダイはたやすく突破した。おれの目からみれば、セオリーなんかとはまるで無縁の、いきあたりばったりのスンダイが高い得点をマークするのは奇跡のようにおもわれた。
→だが、そのときのスンダイのゼビウスはいつものスンダイのゼビウスではなかった。いつもの、天馬空をゆくがごときゼビウスではなかった。酒のせいもあったかもしれない。けれど、そこにはもっと重要な要素があったようにおもう。そうだ、スンダイも緊張していたのだ。スンダイもそのときのおれとおなじくらい緊張していたのだ。心臓がくちからとびでる錯覚にみまわれていたのだ。
→スンダイの1号機があっけなく死んだとき、これなら勝てる、とおれは信じた。だが、おれのターンになったとたんに、その考えがあまかったことをおれもおもいしった。おもうように手が動かない。そのうえ、まるであたまがはたらかない。完全に記憶しているはずのマップや敵のアルゴリズムがあたまから消えていた。うおうさおうするまにおれの1号機もぶざまに死んだ。そのスコアはスンダイのそれよりもしただった。
→そのときのおれたちのゲームは、まるではじめてゼビウスをやったときのような、ぶざまな、低レベルのゲームになった。普通ならありえないミスをおかし、その悔恨がさらにおれたちにミスを重ねさせる。スンダイがゲームを終えたとき、そこには信じられないような低い点数が記録されていた。だが、おれの点数はそれよりも低かった。おれに残されていたのは最後の1機だった。
→この1機でスンダイの得点をうわまわることができるだろうか。おれにはまったく自信がなかった。酔いはさめていた。最後の1機をとばしているあいだ、おれの耳のおくではずっと耳なりがしていた。吐き気がした。そういう状態でおれがゲームをつづけられたのは、指運としかいいようがない。たしかにそのときのおれにはツキがあった。敵機を破壊し、スコアをのばしてゆく、スンダイのスコアにちかづいてゆく、もうすぐ追いつく、そのときだった。
→とつぜん、音をたてて機械が切れた。絵と音が切れた。おどろいたおれたちがみつめる画面は、いっぺんにだたの黒い闇に変わってしまった。なにが起こったのか、おれたちには理解できなかった。しばらくぼうぜんとして、それから台のしたをのぞきこむと、電源コードがはずれていた。ゲームに熱中するあまり、おれが足でそれを抜いてしまったのだ。
→そのときおれが感じてた気もちといえば、ふしぎなものだった。とにかく負けはしなかったという安堵感もたしかにあった。それとどうじに、それまでのゲームでとぎすまされた集中力が、何かのかたまりみたいに胸に残ってもいた。でも、それだけじゃない。もっとふしぎな興奮が、たしかににあった。それまでしらなかった、ふしぎな緊張感の手応えにおれは興奮していた。最後の1機を飛ばしているあいだ、たぶんおれは、バクチの宇宙にいた。たぶん、その緊張感を体験していた。それは、それまでのおれが感じたことのない緊張感だった。たとえば千点50円のマージャンなんかではぜったいに感じたことのない緊張感だった。そういう緊張感を、そのときはじめておれはしった。その未知の世界に足をふみいれることができた、そのことにおれは興奮していたのだとおもう。そうして、おれはもう、そこから逃れることはできない。
「そのコードをはめなおせ。もう1回やろう。」
→おれがそういうと、スンダイはすこしだけわらい、電源コードをはめなおした。硬貨が二枚投入された。やりなおしのゲームがはじまった。