とり  →おれはファミリーレストランが苦手だ

などととつぜんなんの前置きもなくいうと、なんだこいつはとうとうアタマに血がのぼって外食産業にケンカを売りだしたのかとおもわれてしまいそうだけど、べつにそれほどのことはなくて、ふかい考えなんてさらさらなくて、なんとなくいまファミリーレストランのことを考えていたんで、そのことを書いてみようかという気になってしまっただけのことなのだ。
→なんでおれはあの世界が苦手なんだろうとぐだぐだかんがえてみるに、まずあの、店にはいるなりのカウンターパンチがある。なにしろあの世界というのは、自動ドアが開いて店内に足を一歩ふみいれるやいなや、その場で待機しているおにいさんもしくはおねえさんに「いらっしゃいませっ、ようこそっ」などと笑顔でいわれてしまうのだ。だいたいおれはイバラギの田んぼ育ちなので、「ようこそ」なんてあいさつをされた経験はファミリーレストラン以外では皆無なので、こういう場合はなんと返事をするものなのだろう、まさか「こちらこそ突然お邪魔しちゃってすみません」などと負けずにつくり笑いを浮かべるのはどう考えても不自然だし、かといって笑顔でご挨拶していただいたのを無視してしまうのもどうも気がひけるし、ああこまったぞ、とたじろいだおれは、けっきょくなにも聞こえなかったふりをして視線をそらせ、あらぬ方向をみやったりしてしまうのだ。しかも、くちもとだけは、なぜかヒクツにわらっていたりするのだ。ここですでに「ああハラへったなあ、うまいめしをがつがつくいてえなあ」という胃袋的欲求は、音をたててしぼみはじめている。さらになんとなく疲れちゃうのは、案内された席で、さあなにを食うかなとメニューをひろげたときに、そこにならんでいる食べ物の表記である。「きのこのリゾット・木こりソース」などと記されているメニューをながめて「あ? リゾットってなんだ? うまいのか?」などとおれの残りすくない脳は苦しみだすのだ。「新鮮キャベジのサウザンド・カット」なんていう料理をよくよくたしかめたら、たんなるキャベツの千切りのことだった、なんてことがありそうで、こわくて仕方がないのだ。さらにそのしたに「とれたて季節の幸をシェフ自慢のソースでお召し上がり下さい」などと注釈がついていて、おれはおもわず「‥‥」という感じになってしまうのだ。けっきょくおれはこういった能書きのたぐいには目もくれず、料理の写真だけをたよりに食べたいものを決めるわけだけど、これを注文するのがまたやっかいだ。「ご注文はお決まりでしょうか?」と、ひざよりちょっぴりうえのスカートの女の子がちかづいてくると、おれの心臓はどきどきどきと高鳴りはじめる。なにしろおれが注文しようとしているのは、これまでおれが発音したことのないような、たとえば「サイベリアン・ハートゥルー・ブルッフォード風味」などという、しゃべりおわるまでに三度は舌をかんでしまいそうな、おそろしげな名称だったりするのだ。おれはつとめて平静をよそおって、いかにも手慣れたふうに、ひろげたメニューのその料理をゆびさして「これのセットをください」とひくい声でいう。ところが、ああやれやれうまくごまかした、とほっとするまもなく、ウエイトレスの女の子は、「かしこまりました。セットは、ライスとパンのどちらになさいますか?」とあたりまえのようにたずねてくるのだ。ここでおれはふいをつかれてうろたえることになる。「えっ、ええええとう」などとおもわずくちごもってしまう。もちろんおれは「めし」が食いたいにきまっているのだが、なにぶんイバラギのコメどころ育ちなゆえ、マンマだのメシだのといったいいかたをしたことはあっても、ライスなどと大それたいいかたをしたことなんて、金輪際ありゃしないのだ。そもそもおれにとっては、それはあくまでメシなのであって、ライスなどというふにゃちゃけた、たわけたモノでは断じてありゃしないのだ。だいたいおれの顔をみれば、パンなんてあんな、くちがくたびれるばっかりのクイモノをくうわきゃないのはわかりそうなものなのに、なんでそんな困ったことをおれにきく、おまえはいったい何様のつもりだ? などとしまいにはおれも開き直って問い返してしまいそうになるのだが、「ライスかパンか、それが問題だ」とたずねられているのに「おまえはいったい何様か」とききかえすのは、どう考えてもこれは理不尽だ、とハッと気づいて一瞬ためらい、そのためらいが「あの、ライスでねがいます」などという珍妙な日本語をおれにくちばしらせていたりする。しかも、こんなものではまだまだ彼女はおれをゆるしてくれない。ゆるすどころか、機械のように正確に彼女はつぎの難問をたたみこんでくるのだ。「かしこまりました。それでは、サラダのドレッシングはいかがなさいますか?」サラダのドレッシング! ああ、神様、おれは、そのことをすっかりわすれていた。あわてふためいてメニューをぱらぱらとめくりかえすのだが、こういうときにかぎって、目的のものはぜったいにみつからないことになっている。あわわわ。おれにやらせていたのではラチがあかないと察したこころやさしいウエイトレス嬢が助け船をだしてくれる。「ドレッシングにはゾグネ・フィヨルドとトヨブ・サバクとタクラマカン・コーゲンの三種類がございます」と助け船をだしてくれる。だが、これがちいっとも助け船になっていないっ。なんのことだかさあっぱりわからないっっ。「えっ、ええっと、あの、てきとうでいいですっ」このあたりまでくるとおれはもう哀願調になっていたりするわけだが、この「てきとう」というありかたをなぜかファミリーレストランではけっしてゆるしてくれない。そこらへんはまあてきとうに、というモノゴトの進め方というのはわれわれの伝統のひとつなわけだし、じっさいそのへんの焼鳥屋なんかでは「ビール二、三本と焼き鳥てきとうね」というきわめて「てきとう」な表現が多用され、「タレとシオのどっちにすんの〜?」と店のおばちゃんにたずねられて「ああ、てきとうにまぜて」ときわめつけにてきとうにこたえたりして、それでもなんにもつつがなく平和にモノゴトが進行してゆく、そういう世界だってちゃんとあるというのに、それにもかかわらず、この「てきとう」をなぜか彼女はぜったいにゆるしてくれないのだ。妥協してくれないのだ。もはや進退きわまって、こっちもだんだんナゲヤリになってしまって「ああ、じゃ最初にいったやつでいいです」とちからなくこたえるころには、なんというか、もはやたたきつぶされたサンドバッグみたいにおれの食欲はぼろぼろになっているわけだけど、もちろん話はこれですんだわけでなく、ごぞんじのとおりこのさきには「お飲物はコーヒーと紅茶とオレンジジュースと‥‥」「コーヒーは食前と食後の‥‥」といった一連の鬼門がまちかまえている。それらのひとつひとつをきちんとクリアーしていかなければ、おれは目的の料理に到達できない。そういうことになっている。そういうわけだから、やっと注文をおえて、ウエイトレスさんの「それではご注文をくりかえさせていただきます」の声をきくころには、おれはもう身もこころもぐったりとしてしまい、もちろん食欲もぐったりとしてしまい、それどころかなにやらおなかいっぱいであるかのようなこころもちさえしている。そんなこんなを何回か繰り返すうち、めしでもくうか、というときにおれがしぜんとラーメン屋や定食屋をえらぶようになってしまったのは、それはそれでしかたのないものなのかもしれないということでどうか勘弁してください。

[18,10,1999]