とり  三鷹さんの話

→1990年の春にスピリッツネットで世間話をするようになったとき、三鷹さんはそこにいた。そうして、それからふた月ばかりつなぐうちに、三鷹さんの独自の通信のスタイル、あるいは書き込みのスタイルとでもいうべきものが、おれにもわかってきた。三鷹さんのそのスタイルというのは、だいたい週に一本くらいのペースで定期的に、ちょっとした、しかし完結した話を書く、といったものだった。とくにおれには「きちんと書いてくるひと」という印象がある。三鷹さんのする話は、なにげない日常生活の、たしかにちょっとしたことなのだが、それはけっして「どうでもいいこと」ではなく、それどころか、なぜか印象にのこってしまう、そういう話だった。すくなくとも、おれにとっては。それから、三鷹さんの書き込みでは、社交的な挨拶がわりの一行というものをみることは、まずありえないことだった。そういったことが三鷹さんに、独特の存在感をもたらしていた。どうしてそれで独特の存在になってしまうのかというと、これは1990年の夏、スピリッツネットに根性でアクセスしつづけた戦友になら説明のいらないことだが、その一時期、おれたちは、くるっていた。スピリッツネットに。おれたちはそこで、死ぬ気で通信をしていた。おれなんかはじつは、ほんとに死にそうになっていた。死にそうになりながら大量の日々のログを読み、そのログと格闘し、そのログのきれはしにつけくわえてもらう、さえない文章をつづっていた。どうしてそんなにがんばって通信しなくちゃならなかったかというと、そうしないと、ついていけなかったのだ。おれのような、全日本ヒマ男大賞でさえそうだったんだから、ほかのみなさんはもっと大変だったんじゃないかとおもう。そのときのスピリッツネットには、B.B.S.に日々大量に書き込まれる文章のひとつひとつをしみじみ読んで、さらにしみじみ返事をするという暗黙のルールが、メンバーのあいだにできあがっていた。その暗黙のルールにしたがってメンバーたちは、一致団結して日々大量のログをうみだし、じぶんたちがうみだしたログと格闘していた。じぶんでは手におえないものをうみだして、それと格闘をするというのは、人類のヘキであるとおれはおもう。このときおれたちはそのヘキに悩まされることになった。そうして、そういう行為がおうおうにしてそうであるように、おれたちの行為もまた、ハタからみれば情熱の滑稽な浪費にうつったことだろう。しかもおれたちはそれを自覚していた。自覚していながらなおおれたちは、それをやめなかった。どうしてだろう。どうしておれたちは、それをするのだろう。たとえばこのホームページでいうなら、どうしておれたちはホームページをつくり、それを更新するのだろう。どうしておれたちは、こんなふうに血をながしつづけるのだろう。おれにはわからない。1990年の夏にもわからなかったし、2000年の夏になってもまだわからない。わからないままおれたちは、その1990年の夏、スピリッツネットの大量のログをまえに悪戦苦闘していた。じっさい、程度のちがいはあるものの、そのとうじのB.B.S.のメンバーはひとしくそうとうまいっていた。あるコピーライターはスピリッツネットで通信しているだけで半日がつぶれてしまって仕事にならないとぼやき、ある医者はみずからを「通信依存症」と診断し、ある高校教師は「ちょっとこれは大変すぎる」と弱音をはいていた。そんなこんなをいまふりかえってかんがえてみると、おかしくなる。だって、そんなにがんばって通信しなくちゃならない理由なんて、なんにもなかったのだ。もっときがるに通信やったってぜんぜんかまわないのだ。そうするべきなのだ。なのにどうしておれたちはあの夏、あんなにがんばっちゃったんだろう。どうしてみんなであんなふうに我をわすれてしまったんだろう。おもいだすとおれはおかしくなって、それからすこしかなしくなる。
→そんななかにあって、じぶんを見失うことのなかったのが三鷹さんだ。三鷹さんの書き込みからは、スピリッツネットにたいする情熱は感じられず、ほかのメンバーと比較しての話だけど、情熱はなく、ただひとりもくもくと、ボチボチというかんじで通信をしていた。三鷹さんのそのスタイルは、とうじのそのB.B.S.の状況では異質にみえた。ほかのメンバーたちは、わるくいってしまうと「なれあい」だった。おれたちはなれあっていた。それが、第三者からみれば意味のわからない行をふくんだ書き込みがあいつぐボードという状況をうんでいたようにおもう。そのなかで、三鷹さんは、なれあわず、意味のない行を書かなかった。おれにはそうみえた。かといって三鷹さんは、みんなからうとまれてるわけじゃなかったようにもおもう。「あれが三鷹さんなんだ」というふうに、みんながみとめてたんじゃないかとおもう。たとえば三鷹さんが「街をあるいていたらみしらぬ男の子と競争みたいになってしまって、おしまいにはムキになって歩いた」という話をしてくれたことがあって、それはふしぎとこころに残る話で、どうやらそれはおれだけではなかったらしく、その翌日のボードは三鷹さんのその話への感想でうまっていたことがあった。みんなからいっぺんに話しかけられて、あの社交レスのない三鷹さんがどうすることやら、とおれはみていたのだが、三鷹さんも、みんなからいっぺんに返事をされてしまったらさすがにシランプリするわけにもいかなかったんだろう、「おもいのほかあの話がうけてしまったようで云々」なんてしどろもどろにとまどっていた。
→三鷹さんは、そういうひとだった。
→そうして八月になって、それは燃えるような熱い八月だったのだが、おれが、あとふたりのスピリッツネットのメンバーといっしょに、東北地方の各県に在住のスピリッツネットのメンバーたちを順ぐりにおとずれるための旅行にでかけたとき、ネットで事件がおきた。東北の道路のどこかを移動しているとき、その車中で、ひとりが持参してきたダイナブックという携帯型のパソコンで、おれはそのきっかけになった書き込みを読んだ。精神病院を舞台にした、医者と患者の話で、フィクションであるということわりはなかったのだが、よめばつくり話だというふうにうけとめるのがふつうの話だった。それは読物としてまとまっている話で、書き込んだのは三鷹さんだった。三鷹さんがこういう創作の話をするなんてめずらしいなとおれはおもった。それとどうじに、ちょっとやばいな、と感じないわけにはいかなかった。あんのじょう、メンバーのひとりからその話にかんする質問ののち、意見があった。精神病は病気であり、その患者をいつわったうえでのそういった読物が、おおやけのボードにかきこまれるのをみるのは、じっさいに精神病でくるしんでいるひとたちをおもうと、とても不愉快である、というのが大筋だったとおもう。正論だ。そのとおりだ。でも、これはむずかしいところだ、ともおれはおもった。おれたちが子供のころは精神病をわらいものにしたギャグなんてそこらじゅうでみかけたし、精神病にかぎらず、さまざまな理由でみんなわらいものになったり、ヒーローになったりしていた。落語なんて、そういう話の宝庫だ。それが、いつのまにか「そういうのはしてはいけない話」になっていた。おれたちのしらないところで。そして、その制限は、通信をしているおれたちにもいやおうなしに、おおいかぶさってきていた。燃えるロウソクにコップをかぶせると、ふっと火がきえてしまうみたいに、その火はきえた。おれたちは、その火がきえるところにたちあっていたのだ。おれたちのしらぬまに、きのうときょうでは状況が一変していたのだ。いまではこどもたちはもう、メクラだとかツンボだとかいった単語をつかわない。おれたちがこどものころにしょっちゅう使っていたこれらの単語をつかわない。もしかしたら、意味さえしらない。この変化にともなって、通信のボード上でも事件がちょこちょことおきた。このときの三鷹さんのことも、そのひとつだったとおもう。不快感を表明したメンバーだって、それはドラゴンというハンドルネームのひとだったんだけど、ドラゴンさんだって、そういう事情はおれなんかよりよくごぞんじだった。三鷹さんにわるぎがないともおおもいだったろう。でも、ドラゴンさんには、わるぎがなかったからといってすまされないのがこれだった。ドラゴンさんは、いわずにはおれなかったのだとおもう。三鷹さんは、いっさいの反論をせず、弁明もせず、ただあやまった。もうしわけありませんでした、と。そのあやまりかたは、いたましくみえた。三鷹さんが落ち込んでいるのがつたわってきた。だけど、おれのようなふぬけには、どうにもしようがなかった。それから数日、たてつづけに三鷹さんから書き込みがあって、おれなんかがいっちゃなんだけど、それはどうでもいいような話だった。三鷹さんらしくない書き込みだった。話がねれていないかんじで、むりやり書いてるみたいだった。三鷹さんは、スピリッツから去ろうとしているんだ、とおれは感じた。ネット上の事件というのは、当事者にとっては、ハタでみている以上のおおきな出来事で、そのせいでネットからいなくなってしまうひとというのはたくさんいる。ただ、ドラゴンさんとのやりとりの直後にいなくなってしまうとドラゴンさんが気にするかもしれないと三鷹さんはかんがえて、それで、どうでもいい話をいくつか書きこんだあとに去ろうとしてるんだ、とおれはおもった。そして、三鷹さんはほんとにいなくなった。おれにはどうすることもできなかった。ただ、三鷹さんに、達者でやれよ、とこころのなかでよびかけるだけだった。やがて三鷹さんは過去のひとになった。スピリッツネットというリレー競争で、三鷹さんはもうバトンをつぎの走者に渡してしまったのだ。そのうちだれも、三鷹という走者がいたことさえくちにださなくなった。とうじのおれたちはなにしろ日々のログとの格闘があったので、脱落した走者をかまう余裕なんてなかったのだ。でも、どうなんだろう、とうじのメンバーのひとたちは、三鷹さんのことは、あのあざやかな三鷹さんの文章とそのスタイルのことは、印象にのこっていたんじゃないだろうか。だれもその話題はださなかったけれど。すくなくともおれは、こころにのこった。しかも、予想外におおきくのこっていた。三鷹さんがいなくなってはじめて、おれにとって三鷹さんがどれほどスピリッツの重要なメンバーだったかをさとることになった。日に日にそのおもいはつよくなって、たぶんおれは、三鷹さんのファンだったのだ、と気がついた。三鷹さんがいなくなってはじめて気づいた。でももうおれには、三鷹さんにそのことをつたえるてだてがない。スピリッツ以外での三鷹さんをしるひとを、おれはしらなかった。だれもしらなかった。かといって、三鷹さんがスピリッツからいなくなってからもうずいぶんたつので、いまさらボードで三鷹さんによびかけたりするのもバカみたいだ。つまり、おれにはそのことをつたえるすべがもうなかったのだ。おれはそれで、なんだかくやしくなった。三鷹さんを歴史にしてしまうために、ずんずん月日がすぎていく。いちどだけ「三鷹」というハンドルをべつな場所でみかけたことがあった。「これはあの三鷹さんだろうか?」とおれはおもった。そうだったのかもしれない。でもたぶんちがっていたのだろう。それくらいのことしかなかった。
→三鷹さんがそんなふうにいなくなったことは、ドラゴンさんも気にかけていた。たしかに三鷹さんにインドウをわたしてしまったのはおそらくドラゴンさんだったが、しかし、ドラゴンさんにしてもそれはしかたのないことだった、とおれはおもう。ドラゴンさんはドラゴンさんで、それまでつらぬいてきた信念をそのときもつらぬかないわけにはいかなかったのだし、その姿勢は尊敬にあたいするとおれはおもう。でも、ドラゴンさんには、信念をつらぬく意志とどうじに、ひとをいたわる気もちがあった。愛なんていらない。そのかわりにひとをいたわりなさい。カートボネガットの教えだ。三鷹さんのことをドラゴンさんは、気にかけていた。ボード上ではなく、三鷹さんのしらないところで。それからしばらくして、ドラゴンさんの自宅におれは一晩やっかいになってしまったのだが、深夜になるまでおれたちは酒をのみ、そこでドラゴンさんに、あのときのことをどうおもうか、とたずねられた。三鷹さんのことだった。おれは、ドラゴンさんはしかたがなかったとおもいます、と正直にいった。それでもドラゴンさんは「わたしは書きすぎたのではないか、辛辣すぎたのではないか」と、なんども自問していた。
→「やあ、こんちは、どうもごぶさたしちゃって」というかんじで、三鷹さんがドアをあけて店にはいってきた。そういうかんじで、三鷹さんが、スピリッツネットにもどってきた。あれから一年がすぎていた。びっくりして、それからおれは、三鷹さんがきえたときに、どんなにはがゆかったかをおもいだした。もうあんなおもいをするのはごめんだとかんがえ、三鷹さんに、いっておきたかったことをいうことにした。「三鷹さん、おれは三鷹さんがいなくなったとき、さびしかった、だっておれは、三鷹さんがすきだったんですよ」という、バカみたいなことだったんだけど、いわずにはおれなかった。いったおれはスッキリしたが、三鷹さんはさぞかしとまどったろうとおもう。ひさしぶりにスピリッツに書きこんだところ、エタイのしれんとおもっていた(にちがいない)あのマジンとかいうやつが、マジンというのはおれのハンドルネームだったんだけど、あのマジンというやつが「すきです」ときた。よほど困惑したのだろう。よくじつ三鷹さんからおれに一行だけの伝言があって、それはこういう一行だった。
「マジンさんどうもりがとう」
どうもりがとう。三鷹さんがどんなにアワてているかがつたわってくる。おれには、あわてふためいている三鷹さんの図というのがいやでもうかんできてしまって、わらわずにはいられなかった。ごめんね三鷹さん。だけど、どうしてもわらわずにはおれなかった。それから、おれは、うれしくってしかたがなくなった。三鷹さんには、おれのキモチがつたわっている、おれはそんな気がした。コンピューターの画面のその一行から、なにかがにじんでくる気がしたのだ。それでもちろんおれも返信をした。こんなふうに。
「こちらこそもりがとう三鷹さん」
そんなふうにしておれは三鷹さんとうちとけることができた。おれがかってにそうおもいこんでるだけかもしれないが、通信をはじめてから一年半もして、やっとおれは三鷹さんとうちとけた。おれは、いぜん三鷹さんがつないできていたころは、三鷹さんにけんとうちがいなことばかり話しかけていて、まあそれは三鷹さんにかぎったことではないんだけど、あとになって読みかえしてみるとけんとうちがいな反応ばかりしていて、われながらいつもがっかりしていた。けれど、このやりとりがあってからは、おれもふつうに三鷹さんに話しかけられるようになり、三鷹さんもときどき、おれにこたえてくれるようになった。三鷹さんはおれを気にとめてくれてるという実感があった。そして、しばらくしてから、なにかべつの話題のときにおれにちょっと声をかけてくれたりもした。そのころのおれにとって、三鷹さんの書き込みのなかに「マジンさん」というよびかけをみつけるのは、特別なことだった。じつはそれは、ほんの三か月ばかりのことだったのだが、おれの通信じんせいのなかで、印象ぶかいできごとのひとつになった。どうして三か月ばかりかというと、その年の暮れごろに三鷹さんは、またスピリッツからいなくなってしまったからだ。けれど、こんどは失踪ではなく、説明があったうえでの中断だった。ちょっと個人的な事情でしばらくルスにせざるをえないのだけれども、しばらくしたらまたかならずもどってくる、そういいおいて三鷹さんはどこかへでかけていった。「またあいましょう」、おれはそうボードで三鷹さんによびかけた。けれど、おれは、その約束をとうとうはたすことができなかった。なぜって? なぜなら、なぜならね、はは、さよう、なぜなら、ごほん、ききたまえ、なぜなら、このおれがスピリッツから消えてしまったからだ。‥って、口調をえらそうにしたところでごまかせませんね。はあ。おれ、スピをほっぽりなげてしまいました。三鷹さんに「まってる」といったその舌の根もかわかないうちに、おれはそこからはなれてしまった。単純に、飽きたから。はは。ひどいよね、おれ。でも、スピをほっぼりなげてしまったあとも、三鷹さんとの約束が気がかりではあった。だから、そのころスピリッツにつないでるひとにあうといつもおれはこうたずねたものだ。「三鷹さんはきてる?」しばらくすると、ほんとうに三鷹さんは帰ってきていた。「ああ、いるよ」といわれたとき、おれは、そくざにスピリッツにつなぐべきだった。でも、そうはしなかった。かわりに、こうたずねるようになっただけだ。「三鷹さん、まだいる?」「ああ、ときどき書き込みしてるよ」そういわれるたびおれはホっとして、それで満足しておわっていた。そうして、それから一年ばかりして、パーティーはおわった。おれたちのスピリッツネットそのものがこの世からきえてなくなってしまったのだ。
→ああ、書けば書くほどながくなる、いったいこれはなぜなんだ、と、とちゅうからこのあたりまえの命題を、ひそかに自問しつづけながらつづりつづけたこの作文も、やっとここまでたどりついたからには、話はいよいよ大詰めだ。どうして三鷹さんは、おれにとって、そんなにとくべつなひとだったのか、どうしてそんなにこころにのこったのか、そのちゃんとした説明をまだしていない。いまこそその説明をするときがきた。スピリッツネットをおもいだすとき、おれのアタマのなかには、夜空にながくシッポをひいたあのホウキ星の姿がうかんでくる。シッポのいっぽんいっぽんが、それぞれ、あのころのメンバーだったおれたちみんなだ。ながい毛もあればみじかい毛もあるし、ふといのもあればほそいのもある、それらはみんな、いろいろなところでおもいおもいにつながっていて、そう、そのシッポというのは、おれたちが、スピリッツというバトンをもってはしるリレー競争に参加していたときの、その軌跡なのだ。おれは、そのスターターでもアンカーでもなくて、まんなかで中継をしたちんけでさえない走者のひとりだった。おれの走った夏に、いっしょに走っていた走者たちはたくさんいて、そのなかで、三鷹さんみたいにおれにとって特別だったのは、ぜんぶで三人いる。三鷹さんと、あとはMさんKさんだ。三人には共通点があって、三人とも、オフラインミーティングにはこないひとたちだった。それぞれの事情でそうしていたのだろうけれど、そのスタイルは、おれたちにとって特別だった。だれも、じっさいにあったことはなかったのだ。顔もすがたも声も住所もなまえもしらなかった。どこのだれなのかしらないまま、通信のボード上で毎日のように話をしつづけた。だからおれたちは、三鷹さんやMさんやKさんと話すときは、とくべつな緊張感をもたないわけにはいかなかった。はじめて通信をして書き込みをしたときの緊張感、あれをもたないわけにはいかなかった。かれたちに話しかけるとき、あるいは話しかけられたとき、おれはわくわくした。そういう緊張をさいごまであたえてくれた三人のスタイルにおれは敬意をひょうし、感謝する。最後の最後に、つまり、スピリッツネットがオワリのときに、おれは、三鷹さんたちにとてもあいたかった。でも、最後まであわずにすませて、このほうがよかったんだともおもう。
→おれはなんどもなんども、通信で、約束をやぶってきた。しかも、約束をやぶっても、なんともおもっていない最低のやつだ。じつは、約束したことさえもうおぼえていない。かすかに、やぶったような記憶があるだけだ。ところが、そんなおれにも、はたせていないことがいまだに気にかかる約束がある。できることなら約束をはたしたい、それができなくても、あやまることだけはしたい。でも、もう、スピリッツネットはない。三鷹さんにあうことも、たぶんもうない。なんてこったい、とおもう。
→じぶんがいかにロクでもないかについてつづってしまったあとにえらそうなことをいうのもなんだけど、この話のおしまいまでつきあってくれたひとに、おれからひとつ、アドバイスがある。きいてくれるかな。それはこんなアドバイスだ。
「あなたの身のまわりにいるあなたのすきなひとに、できるかぎりそのことを表明しておきなさい。なぜならあなたのすきなそのひとが、いつまでもあなたの身のまわりにいるとはかぎらないのだから。」

[17,07,2000]