| ●むかし、小学館の |
スピリッツネットというBBSがあって、ていうかいまもあるのかもしれないけど、とにかくかつてたしかにあって、わしがそこで2400ボーという通信速度でちんたらとパソコン通信をやらかしていたとき、そこに1Q3というハンドルネームの偉大な先輩がおられて、わしのような小便小僧はもう、ただひたすらにひれふすしかなかったんだけれども、この1Q3というのはもう、とことん悲惨なひとで、その書き込みの人気シリーズに「×回目の見合いに失敗した」シリーズというのがあって、つぎからつぎへと見合いに失敗しちゃうんである。それはもう、みごとに失敗しちゃうんである。そんで、そのてんまつを書き込んでくるんである。しまいにはもう、読んでるわれわれとしては、失敗するのをねがうほかない。「こんどは○月×日に見合いやります」と書き込んでくるたびに、1Q3の在住する方角をむいて、こんども失敗しますように、なんていのっちゃうのである。はは。え〜と、1Q3、読んでる? 読んでるわきゃないよね。はは。1Q3、フトドキモノがこんなとこでこんなこと書いてますよー。はは。でも、1Q3はエライひとだからきっとゆるしてくれるだろ。そんで、なんで1Q3の話なんかをいきなりおっぱじめたかというと、どういうわけかというか、あたりまえというか、この「1Q3」というハンドルネームを、ほとんどのひとが「IQ3」だとおもっちゃうんである。だっておれだってさいしょ、そうおもってたもん。「うわ、アイキュー3だって、すげえ名まえつけるよなあ。いくらなんでも3は低いよなあ」とか感心してたもん。たぶん、たいていのひとはそうだったんじゃないかとおもう。そんで、ある日、「I」ではなくて「1」だとしって衝撃をうけるんである。「アイ」ではなくて「イチ」。「アイキュ〜サン」ではなくて、「イッキュウサン」。まあ、一回おぼえればたいてい、もう二度とまちがえないから、おぼえちゃったひとはいいんだけど、この通信の世界というのは、あとからあとから新人があらわれる。場所は小学館のネットワークである。毎週毎週コミック雑誌で宣伝してるBBSである。あとからあとから新人があらわれる。もちろん新人だから、こまかいことまではわからない。そういうひとたちがみんなして、「IQ3」とかれをよぶ。1Q3も、ふだんはいいひとなんだけど、見合いにしっぱいして気ぶんがむしゃくしゃしてることもある。そんなときは「わたしはIQ3ではなくて、1Q3ですっ、いくらなんでもIQが3ではあんまりではないですかっ」とか怒ったりしちゃうんである。それでも、あとからあとから新人があらわれて「IQ3」「IQ3」とやらかすんである。キリがないのである。みずからまいたタネとはいえ、あれはアワレでした。ほんと、ナミダなしには語れません。だから、読むほうも、ナミダなしに読んではいけません。はは。とかなんとかいいながら、どうもこの「ぽいう」もあやしいらしいことに気づいた。「ぼいう」とひじょうににかよっているらしい。はは。おもしろいからこのままにしとこう。ええと、とうとつですがみなさん、「ぼいう」は許容します。カタカナの「ボイウ」も可。わたしはこころがひろいです。許容します。でも一線はひいとかなくちゃいけません。ということで、「ぱいう」および「ばいう」は反則とさせていただきます。そういうことでひとつ、よろしくおねがいします。ぱいうぱいう。 |
| ●芸名をつけようと |
いう話になった。って、いきなりここからはじめたら、話になったもなにもないな。なんのことだかわからんな。ええと、ずいぶんまえなんだけど、娯楽でやっていたバンドで、ミュージッシャンたるもの、芸名のひとつももっていないようではイカンのではないか、というロンギがメンバーのあいだでたたかわされて、そうしてそれぞれが芸名をつけようという話になった。ほんとうは、ロンギもへったくれもなくて、ただたんに、ひまつぶしにそういう話をしただけのことである。まずサメジマくんが「おれはコバーン鮫島にしてくれ」といいはなった。そのこころは、と問うと、「コバンザメだ」とのことであった。むろんわれわれ一同ひっくりかえった。それからおれが「香港マサオにする」と宣言すると、そのこころは、と問われた。「香港マカオ格安ツァーだ」とジマンげにいうと、一同しんとしずまりかえった。うすらさむい空気がただよった。いまもバカだが、このころからおれはバカだった。それからギターのヤスダだが、こいつは問答無用で「西川口泣男」ということになった。西川口在住の彼女がいて、おまけに酔っぱらうと泣くからだ。「それはあんまりだよう」とナキオは主張したが、問答無用であった。さいごにボーカルの林くんだが、「おれは自殺にする。林自殺だ」といった。いきなりなんか、マジな感じになってしまって、その話はそれでおわった。林くんはときどき、そんなふうに、意味もなく「死にたい‥‥」とつぶやく男だった。自殺願望の男だった。この自殺くんが、一時期、たしかすきな女の子にフラれたかなんかだったとおもうけど、ひどく落ち込んでいた時期があって、くちをひらけば「死にたい」だの「生きていたってしょうがない」だのと、そんなことばかりつぶやいとる時期があって、つぶやきたいやつにはつぶやかしときゃいいのだが、そのうちバンドの練習にもあらわれなくなってしまった。メンバーのだれにもなんの連絡もない。音信不通のままである。そういえばこのところ、いつもの三倍ぐらいはくらい口調で「死にたい‥」とつぶやいてばかりいた。これは、もしや‥‥というかんじで、おれたちはかなりびびってしまった。そのころ自殺くんは所沢にすんでいて、おれは江古田にすんでいて、おなじ西武池袋線だということで、おれが自殺くんのアパートに偵察にいかされることとあいなった。これはものすごくイヤなニンムだった。ほんとに死んでたらどうしよう。第一発見者とかいって、警察につれてかれちゃうんだろうな。それいぜんに、ともだちが死んでるのをみるのって、どんな気もちなんだろ。どんな顔して死んでるんだろ。舌とかだして死んでたらやだなあ。夢にみちゃうよなあ。そんなことをかんがえながら自殺くんのアパートへあるいた。ゆううつな道のりだった。また、かれのアパートまでの道にはあちこちに竹ヤブだとかハヤシだとかがあって、なかにはいい枝ぶりの木もあったりして、いまにもそのへんで自殺くんが首をくくってそうで、林自殺とはよくいったもんだ状態であらわれてきそうで、こわくてしかたなかった。そんなこんなで自殺くんのアパートに到着した。無言だったらどうしよう、もし返事がなかったらそのままかえっちゃおうか、などとおもいなやみつつ、おそるおそるドアをノックをすると、自殺くんはそこにいた。幽霊ではなかった。生存しておった。ピンピンしておった。おまえ、バンドの練習にもこないで、なにやってたんだよ。たずねると、「え、練習なんてあったの? おれ、ずっとファミコンでゲームやってたよ。ドラゴンクエストっていうんだけど、これ、すげえおもしれえよ、えんえんやっちゃうからおもえもやってみ」とのことであった。自殺するまえにおれがキサマの息の音をとめてやる、ととっさにおれがかんがえたのは、あるいはむりもないことであったかと、こういう事情があるのだからということで、どうかおおめにみてください。ぽいう。 |
| ●そうしてことしも |
この日がやってきた。12月4日はフランクザッパの命日だ。 |
| ●どうして映画館と |
いうのはあんなにねむいんだろう。きょう、みちをあるいていたら映画館にでくわして、ポスターをながめたらちょうど開演時間のやつがあったので、ついふらふらとなかにはいってしまった。いちばんうしろの席にこしかけて、こしかけたとたんに「ああこれはやばい」と気づいた。「これはまちがいなくねむる」と確信した。そんなしょうもないことを確信してもますますどうしようもない。まさか券うりばにもどって「よくかんがえたらおれ、ねむかったんです、おかねかえしてください」とはいえない。覚悟をきめて運命にまかせることにした。あんのじょう、おれの記憶は予告編を3本みたところまでである。 |
| ●19歳といえば、 |
世の中の女の子たちは、みんななんていい子たちばかりなんだろうって気がついて、それでディスコいってナンパしてました。その印象がまずいちばんにある。おれなんかはもう、シタゴコロしかなくって、その場でしりあった女の子にたいして「どうやったら今夜じゅうにこの子とやれるか」とそれしかかんがえてなくて、「どうやったらこいつをうまくだませるか」とそれしかなくて、そのさいのおれの言動はすべてそこに結びついてたんだけども、おおくの女の子たちは、おれをぜんぜん疑ったりしなくて、ちゃんとだまされてくれました。みんな、なんていい子たちだったんだろう。そのときおれは浪人で、女の子をだますのなんて、大学受験よりもずっと簡単だとそういう実感をもってました。そうして性病になって、大学の入学試験シーズンに発病して、チンポコをうずかせながら試験をうけるという、われながら悲惨としかいいようがない状況におちいるのですが、それはまたべつの話。 |
| ●こないだ女の子と |
ヨウロウの滝で飲酒してたらむかしのフォ〜クソングの話になったのね。彼女の家にはクラシックギターがあって、そいつをひっぱりだしてきて、フォークギターの教則本をかってきて、イーマイナ〜とか、ジィ〜とか練習をはじめたんだって。ふうんなんて話をきいてたんだけど、そうしたら、どうしても演奏したい唄があるんだけど、唄本がみあたらないし、コードもわからないし、どうしたらいいんだろうとかいいだしたわけ。「なんの唄?」ってきいたら、「風」っていうのね。ああ、22さいのワカレかとおれがひとりでなっとくしてたら、「そうじゃないのよ、あのね『ささやかなこの人生』ってしってる?」とかいいだしたわけ。これにはおれもびっくりして、そのあとこんどはなんだかわらいがこみあげてきちゃってさ、それをおさえるのがひと苦労だったよ。それはおれが中学生かそれくらいのころの唄で、そのころのともだちにカズオっていうやつがいて、そいつの家でなんどもきかされたりしたのよ。カズオは風と吹雪ジュンとミス南極がすきで、そのころからなんだかさむそうな趣味のやつで、それがこうじていまは南極越冬隊員になっちゃったけど、というのはもちろんウソでいまはなにやってるんだかしらないけど、とにかくそのころのカズオの部屋のカベには風と吹雪ジュンとミス南極のポスターがはってあってさ、いやもちろんミス南極はうそだけど、ともかくそこで「ガッツ」とかひろげて、じゃんじゃこじゃこじゃこなんてギターをひいてたことをおもいだしちゃったんだけど、なんかあのころのフォークソングの話になると、なつかしいだとかせつないだとかいういぜんに、まずわらいがこみあげてきちゃうおれなのね、どういうわけか。んで、そんな二十年もむかしの、いまとなってはもはやわらうしかないような唄がどこからでてきたのか不審にかんじてたずねたら、なんか、むかしの、いわゆる四畳半フォークの特集をしたテレビ番組をさいきんみて、それできいて、いっぺんに気にいってしまったんだとかいうわけ。ささやかなこの人生をえらんだその番組も、それで気にいってしまったという彼女のセンスにも、わけがわからないものはあるんだけど、へえいい趣味してるよとかほめて、こころにもないんだけどね、いちおうほめて、それからためしにきいたのね、もしかして音源はもってるかって。そしたら、風のベストヒット集の音楽CDをかっちゃったっていうのよ。そんなら話ははやいからさ、おれがコピーしてあげるよってことで、うん、CDかりてね、ききましたよ、ささやかなこの人生。しかし、コピーするのに二回きく必要がなかったのはなぜなんだ? もしかしておれって、デビルイヤーだったのか? なんていっしゅんおもいあがりそうになったんだけど、もちろんそういうわけではなくて、ただたんに簡単なだけでした。中学生のころはまるでおもわなかったけど、こうやってききなおしてみると、ささやかなこの人生というわりにはたいへん大胆なこのコード進行であった。だいたい、きくまえからつぎにくるコードの予想がついてしまって、それがことごとくうらぎられないというのは新鮮だ。とくにこのSus4。伊勢やん〜〜、もうちっとなんかかんがえろよ〜〜などとつぶやきながら、でもそれはなかなかにたのしい作業でありました。ぽいう。 |
| ●せんじつ友人夫婦 |
(結婚4年め、子供なし)のとこに遊びにいってきました。けっこうひさしぶりだったんで、ま、ビールなんかをのみながら世間話をしてわらいころげておったわけですが、ダンナがちと席をはずして、嫁さんとさしむかいになりました。そのとき、「夫婦喧嘩」の話になりました。「やっぱり喧嘩したときは、ぶたれたりするの?」とわたしがたずねると嫁さんはいいました。 |
| ●ほんとにこのホー |
ムページっていうのはいろいろあって、みんなああでもないこうでもないとなんだかんだやってるわけだけど、そんなとこにおれみたいに新人ていうか、右も左もわかんない状態でぽっとこのあそびをやらかしだすと、なにかネタをおもいついても「いやちょっとまてよ、こういうのって誰でもおもいつくよな、てことはもうすでにだれかがどこかでやってるな、なにもわざわざおれがやることないよな」とかんがえて、すぐにボツにしちゃうということがある。けっこうある。 |
| ●「絶対にすててや |
|
| ●ひとはなぜみずか |
らの恥ずかしい過去をバクロしてしまうのか? こないだぐりちゃんとこのホームページにその手の話があって、それはともだちの女の子がとても恥ずかしい体験をして、だれかに聞いてもらわないと恥ずかしくてしょうがないんで電話をかけてうちあけてきたという話だったんだけど「だれかに聞いてもらわないと恥ずかしくてしょうがない」というのが、なんだかすごくよかった。「恥ずかしくてだれにも話せない」とか「だれかに聞かれたら恥ずかしい」とかいうのは、そんなのはまだまだなのだ。ほんとうに恥ずかしい体験というのは、恥ずかしくってひとりでは耐えきれないのだ。てあたりしだいにみんなにわけあたえなくちゃやってられないのだ。ちがう? ちがうかなあ。でもおれは、なんだかその気もちはわかる気がした。彼女もぐりちゃんみたいなともだちをもってしあわせだと思う。なにしろインターネットのホームページにさらけだして、全世界にその恥ずかしさをぶちまけてくれたのだから、これでやっと彼女も安心して、マクラを高くして眠れるだろう。よかったよかった。でも、コンドーム三箱はちょっと、多いかなという気はわたしもしました。ぽいう。 |
| ●きぶんが落ち込む |
ということは、人間であるかぎり、たいていあることである。たぶん、ソクラテスにだってあったろうし、カントにだってあったはずである。加藤茶にだって、きっとあるはずだとおもう。もちろんおれにだって、どうにもきぶんが落ち込むということはある。そういうとき、ひとはどうするのか、よくしらない。おれの場合はどうしたかというと、十代のころはもっぱら火を吹いていた。灯油をくちにふくんで、空にむかってぶゎあっと火を吹いた。やったことがないひとにはわからないとおもうけど、これはかなりきぶんがすかっとする行為である。あんまりこういうことは奨励しちゃいけないとおもうので、公然とすすめたりはしないけど、きぶん転換にはそうとう有効な手法である。 |
| ●「ぢ」というもの |
が「でる」ものであるというのをしったのは、おれも二十歳をずいぶんすぎてからだったりする。‥‥あ。ごめん。なんのまえぶれもなく。ええと、とつぜんだけど、ぢの話です。とつぜんそういう話をされたので、これはもうとつぜんそういう話をしてかえすしかないと。はあ。そんで、それが「でる」ものだとおれに教えてくれたのは、やっぱり出産直後の女のひとだったりする。 |
| ●「ねえねえ、くり |
たくんは男と女のどっちにうまれたかった?」 |
| (文中の画像と本文とはなあんの関係もありません) |
| ●「ドライブたのし |
いねえ」 |
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