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→やがてヒロポンは短大を卒業し、丸の内のOLになった。通勤でも短いスカートで、男子社員の人気を集めたみたいだ。それに慢心したアイドルは、いつまでも経済力のない沖山にしだいにうんざりしはじめた。アイドル稼業は女の子をかえる。そんな矢先に、ヒロポンのパパ(刑事)が溺死した。泥酔して落ちたのだろう、夏のある朝、水路に浮かんでいるのを発見された。ヒロポンは長女で、下にはまだ学校にかよう双子の妹たちがいたので、これからはじぶんが家計をささえなければと考えたらしい。もちろん台所の事情がいっぺんにひっぱくしたわけではなかったんだろうけど、なにか事件がおこるとがぜんはりきりだすむすめだ。悲劇的な場合だったりするとなおさらだ。彼女はまず行動する。父の他界をきっかけに沖山に見切りをつけたヒロポンは、さっさとムコをとって結婚してしまった。あのころもヒロポンはおそろしく元気だったが、そのあともおそろしく元気で、それはたぶんいまでもそうだ。
→ヒロポンのおやじが溺死する直前に沖山は、ヒロポンにいいところをみせようと、月賦で購入した高価な指輪を彼女に贈っていた。経済力もあるところをヒロポンにみせようとしたわけだ。浪人の沖山は、ヒロポンに会社の男たちとくらべられて、くやしかったのだろう。なさけなかったのだろう。それでおもいあまってそんな、らしくないことをしてしまったのだろう。指輪は、とりあえずは功を奏したかにみえた。ヒロポンはいたく感激し、なんとなくまたうまくいきはじめそうな気配があった。さぞかし沖山はよろこんだことだろう。自尊心をとりもどしたことだろう。ところがそこに、とつぜんの訃報。さらには寝耳に水の婚約発表、電光石火の入籍。つまりヒロポンのおやじは、さいごまで沖山の呪いでありつづけた。あるいは沖山の魂は、安息できない運命にある。そういうことだとおもう。結婚式を間近にひかえてヒロポンは、沖山に指輪を返すともうしでてきた。けれど沖山はそれを断り、その後三年にわたって指輪の月賦を払いつづけた。もはやヒロポンは他人の妻となり、やがて母となってしまったというのに沖山はせっせとアルバイトに励み、月賦を払いつづけた。沖山の三浪目の冬のことだ。その冬は沖山にとって、このうえなく厳しい冬となった。沖山は、ふられたショックと痛飲による胃潰瘍で、受験直前に入院をする。運命の魂に休息はない。この調子だと四浪確実だぞ、そう期待しておれは見守っていたが、沖山は病にもめげずにがんばり、めでたく駒沢大学に合格した。奇跡がおきたわけだ。合格発表の晩、沖山は泣いた。泣きながら病み上がりの胃袋にジンをどくどく流し込み「これからはおれもまじめに人生をやりなおすぞっ」と誓ったものだが、やりなおしの人生の第一歩は、残念ながら、再入院することだった。病み上がりの胃袋にゴードンはやっぱりまずかった。もちろんその後も沖山は相変わらず怠惰な生活をつづけ、大学をやめたあともそれはそうだ。いずれにしてもあの魂をみていると、あらゆる道は破滅の道であると、たしかにそうおもえてくるからフシギだ。
→けっきょく白都さんとはその後いちども顔をあわせていない。その後というのは、ロマンス通りでふられた後のことだ。彼女はその後、いちども予備校にはあらわれなかった。そういうところはがんこな女の子だった。でも、進学には成功したそうだ。明治大学の文学部に入学し、その夏に大学でしりあったアメリカ人と結婚、卒業後は渡米して合衆国のメイン州で暮らす予定だという。森下がそう教えてくれた。森下がどういうつもりで白都さんの話をおれにしてたのかわからない。こまったことに、白都さんの話になるとおれはいつだってみじめな気もちにさせられた。ほんとのことをいう。大学にはいったあともおれはなんどか白都さんに電話をかけた。だけど彼女はけっして電話にはでなかった。ずいぶん嫌われてしまったらしい。それでおれはつらいおもいをした。好きな女の子に徹底的に嫌われるっていうのはつらいことだ。彼女には徹底的に嫌われたまま、弁明することも謝ることもできないまま、もう二度とあうことはないんだろう。静かに降る雨の夜なんかにそんなことを考えはじめると、いまでもすこしだけへんな気もちになる。今夜も雨が降っている。
備中からは連絡がある。彼女は大学を卒業するのに五年かかった。おれのせいだというのがヒロポンや沖山の主張だ。おれにひどい仕打ちをうけたせいで、備中は本格的にまずくなったというのだ。だけどおれにいわせてもらえるなら、それはとんでもないヌレギヌだ。おれにあう以前からすでに彼女はまずかった。たまたまおれはそれが表面化するきっかけを与えたにすぎない。誰のせいかはともかく、備中は休学して精神科の治療を受けなければならなかった。そのせいで大学へも一年よけいにかようことになった。卒業後は図書館に勤めることになったが、就職によって、ふたたび精神科のたすけが必要になった。日々の心労のせいで、ねむれなくなってしまったというのだ。かわいそうな備中。彼女には、社会生活なんて、どだい無理な話なんだ。睡眠薬でもねむれない夜に、彼女は電話をかけてくる。夜陰にまぎれでベルがなり、受話器をとれば、闇にきえいりそうな彼女の声がひびいてくる。あたしはどこからきたの? どうして人間は平等でないの? どうすればしあわせになれるの? だれか彼女に、なにかこたえることができますか? おれにはできやしない。それでおれは彼女に、本をよんでやることにしている。大学に入学したときに無料配布された聖書だ。おれがロウドクをはじめると彼女は、黙ってそれにききいっている。電話線をとおしてつたえられるイエスの教えにじっと耳をかたむけている。かすかにうなずく声がする。ときどきおれは、そんな彼女の髪をなでてやりたいとつよくおもう。そうしたら彼女は、みちたりたネコみたいに喉をごろごろさせて、やすらかなねむりにつくことだろう。
森下は受験に失敗し、OLをはじめた。そしていくども転職した。半年ばかりつとめ、飽きると半年ばかりあそびほうける。そしてまた半年ばかりはたらき、また半年ばかりあそぶ。勤務先がかわるたび、言動はへんに明るくおかしな調子になっていった。スケジュール帳は十万年先の予定までびっしりだ。もはや間違ってもダザイなんか読まないんだろう。ダザイにかぎらず、本などよむ必要がどこにある? だけど、ダザイをすてた森下は、どういうわけかおれをうんざりさせた。なんだかんだと森下とは顔をあわせて話をすることがあったのだが、やがておれにはそれが苦痛になった。森下のことはおもいだすのもイヤになり、森下もいろいろ忙しくやっていたので、しだいにおれたちは疎遠になりやがて連絡はまったく途絶えた。おれが大学三年目のころだ。森下には森下の会社生活があり、おれにはおれのいんちきな学生生活があり、しかもおたがいの生活にはなんの接点もない。それで森下は忘却の川を静かにながれくだり、消えゆく彼女をおれは橋のうえから見送った。けっきょく彼女にとってのおれは、彼女の頭上を通りすぎていったおびただしい爆撃機のうちのひとつにしかすぎない。おれにとっての彼女は、眼下を通りすぎていった無数の攻撃目標のうちのひとつにしかすぎない。おれはそうおもうことにした。
→ところがそれから橋の下をずいぶん水がながれたあとで、神保町の本屋で彼女に偶然でくわした。懐かしそうに話しかけてくるその女が誰なのかわかるまでに、すこし時間がかかった。正直にいう。森下がそんなふうにきれいになるとはおもってもいなかった。ひさしぶりにみる森下は、顔や雰囲気がまるでかわっていた。あそび飽きたのか、ずいぶん落ち着いていて、気品さえ感じられる気がした。おれはどぎまぎした。きむすめみたいにどぎまぎしながら浪人時代のことを話しあった。ドライブのことや、幽霊アパートのことや、沖山や白都さんのこと。話しながら彼女とおれは、たしかにおなじ感情を共有していた。それにつつまれておれは、ヘンな気ぶんになってしまった。やがて話題が現在のことにおよんだとき、ためらいながら彼女が宣言した。
「あたしね、もうすぐ結婚するんだ」
それから彼女はおれをみて、はにかみながらほほえんだ。それでおれは口がきけなくなり、なんといったらいいものか、本棚のまえでうつむいてしばらく考えこんだ。そしてでてきた言葉は、なんてこったい、あわててたとはいえ、われながらトンチンカンなものだった。
「おれと結婚してくれないか?」
いいながらアタマにカーっと血がのぼった。うまれてはじめての求婚だ。ところが、いい終えて面をあげると、おれの眼前にはネクタイをしめた、みしらぬ中年の男が立っていた。あまりにも唐突な求婚にかれはたまげたらしく、キョトンとしておれをみつめていたが、おれだって負けないくらい驚いた。呆然とするかれのうしろで、森下がハラを抱えていた。そういうわけでその件はうやむやになってしまい、水道橋の駅でおれたちは、なんの約束もせずにわかれた。その晩おれは、なかなか眠れなかった。もしかしたらおれは、森下のことがすきだったのかもしれない。

おわり 

[11,06,2000]