とり  サンキュー7

 大学の門口をでるとひぐれである。それからあとは池袋の駅へいって電車にのり、まっすぐにアパートにかえることにした。アパートは西武池袋線というのにのって池袋からかぞえてみっつめ、江古田という駅でおりて三分ばかりあるいたところにある。三階建てのビルである。一階は喫茶店で二階は雀荘とカラオケスナックで三階が賃貸しの部屋である。おれの部屋は三階にある。三階にはほかに部屋が三つあるが、おれのほかはぜんぶ女がすんでいる。江古田には音楽の大学があって、すべてそこで音楽をまなぶ学生である。どうしてそこの学生ばかりがあつまっているかというと、部屋で楽器をひくことがゆるされているビルだからである。階段をのぼって部屋にいくとちゅうにもピンポロリンピンポロリンとピアノの音がもれてくる。どこかの部屋の女がピアノの練習をしているのだ。そういうとなにか素敵にきこえるかもしれないが、そのようなことはまったくない。すみだしてはじめて気がついたのだが、ピアノの練習というのは音楽でもなんでもない。つっかえたところをなんどもなんどもくりかえしひくのが練習である。レコードがおなじところをなんどもなんども針トビするのをじっと我慢してきいてるようなものである。ひいているほうはいいが、ハタできかされるほうはたまったものでない。夜があけるとこれがひびいてくる。ピアノばかりでなくゲーコゲーコとバイオリンの音もまじっている。これらがタバになって針トビをやりだすと、これはもはや騒音とか雑音とかいったたぐいのものではない。拷問である。音楽にかこまれてくらせるなんてうらやましいですよ、と部屋を紹介するさいに不動産屋のばあさんがニタニタとおれにわらいかけてきたが、いまになってかんがえてみるととんだ嘘もあったものだ。しかも、ピアノだのバイオリンだのはまだ予告編でしかなくて、楽器の練習の音は夜の九時ころになるとやむのだが、するとこんどは階下のスナックのカラオケがはじまる。どうやらおれの部屋のましたにカラオケのステージがあるらしい。酒くさい唄ごえがおれの部屋の床をふるわせる。夜がふけるほどカラオケの音量はあがり、それと比例して歌唱力は激減する。おそらく泥酔するからだろう。深夜の一時二時ともなると、それはもはや唄ではない。犬の遠吠えか、あるいは猫のよがり声である。そうして毎夜毎夜の二時ころになるときまって宇宙戦艦ヤマトである。ビール瓶でヤマトオヤジの頭をかちわり、割れたビール瓶を不動産屋のババアの脳天につきたてたら、さぞや愉快だろうとかんがえる。愉快ではあろうが、どんな人間だろうと人間であるかぎりはころせば殺人だ。そんなことをしでかしては田舎の両親にもうしわけがたたない。ヤマトがはじまると、シンジとおれはおとなしくステレオの音量をあげてレコードをかける。むろんねむれるわけがない。すみだしてまだ一週間とたたないうちにおれはもう後悔をしている。ピンポロリンポンポロリンのピアノの音にむかえられておれの部屋の扉をあけると、部屋のまんなかでシンジが大の字にねころんでいる。耳にあてたヘッドホンからシャリシャリと音がもれている。おおかたピアノの練習の音にたえかねてヘッドホンでなにかの音楽をきいているのだろう。シンジのかたわらにレコードのジャケットがある。手をとってみると、ジョー・ジャクソンである。おれのしらないレコードである。どこかでかってきたのだろう。目をとじてヘッドホンをしているのでシンジはおれがかえったことにも気がつかない。おい、かえったぞ、といいながらおれはシンジの脇腹をけとばした。シンジはうすめをあけておれをみあげ、つまらなさそうにまた目をとじた。年寄りの猫のようである。暇をもてあましているものならしい。おそらくこの男はほんじつ、人類の発展には一ミリグラムも貢献しなかったであろうことはまちがいない。ジョー・ジャクソンのレコードをかいにどこかへでかけ、かえったあとはこうしてうたたねをしていただけなのにちがいない。鼻毛の三本くらいはぬいたかもしれないが、おそらくこの男がこの日にしたことといえばそれくらいのものだろう。浪人というのは暇なかぎょうだとはおれもしっていたが、それにしてもこれほどぐうたらしていていいものか、とおれはこの男の将来におもいをよせ、さらにはおそらくこういう男たちがしょってたつのであろう日本国の将来におもいをよせ、すこしくらい気ぶんになった。ところへ、尻の穴にひどい痛みがはしった。うげっと悲鳴をあげてみおろすと、シンジがおれの尻の穴におもいきり指をつきたてている。シンジはわらいをこらえている。てめえ、とおれが尻をおさえながら身がまえると、とうとうシンジはこらえきれずに声をあげてわらいだした。ゆるせん、とおれはシンジにくみついた。それからおれたちは十分ばかり、あたりをころげまわりながらおたがいのからだのくすぐりっこをした。そもそもシンジとおれとは高校から予備校までいっしょで、おたがいのキンタマの裏までしりぬいた仲である。高校のじぶんはいっしょにセンズリをして精液のとばし競争をした。この競争ではおれはいちどもシンジにかったためしはない。シンジのとばした精液は天井までとどいたからだ。高校をおえ、ともども浪人をしてからもその調子でなんだかんだとやらかしていたのだが、とうとう浪人の秋ごろになって、シンジとおれがアパートで同居をはじめた。そのときのシンジのアパートは四谷にあった。おれたちの予備校は水道橋にあったが、おれたちはそこへはあまりいかず、もっぱら歌舞伎町のディスコで女をだましてすごした。そのうち冬になって、ちょうどこれから受験がはじまるという段になって、ふたり仲よくおなじ病気を発病した。淋病である。ふたりがべつべつの相手から病気をもらってきたのならたいへんな偶然というべきだろうが、そうではない。必然である。シンジとおれは、先発投手とリリーフ投手のような性交をしていたからだ。ただし、どの相手からもらったかとなると、これはさだかではない。とにかく、あたってしまったのはしかたがない。医者の診断をきいたのは入学試験の直前である。この病気にかんしては、この病気に不随してくるひととおりのくるしみを経験した。性器の疼痛、瀕尿および放尿時の激痛などである。そういう状態で大学の入学試験を受験したのだからこれは大変である。それでもおれはどうにか池袋にある大学の文学部に合格をした。シンジは二浪をした。入学試験をおえるころ、おれたちの病気はなおった。シンジは四谷のアパートをひきはらい、おれは江古田にうつりすんだが、シンジはおれの新居におしかけてきて居候をきめこんでいる。二浪といってもどこの予備校にかようわけでもなく、いまのところ、ただ部屋でごろごろしている。ときどき小銭をにぎりしめてふらふらとパチンコにいく。あるいは、おれの大学についてきて、構内ですれちがう女の子の品さだめをする。あるいは、コインランドリーにいって洗濯をして、乾燥機がおわるのをまつあいだに女をさそい、おれのいないまにおれが家賃の全額をはらっている部屋にひきいれ性交をする。なにもしらないおれがアパートにかえると部屋の奥から女のヒイヒイいうこえがもれてきて、おれをたまげさせる。あるいはジョー・ジャクソンのレコードをかって、それをききながら昼寝をする。無益なことこのうえない。
 夕飯はスパゲッティーをうでることにした。うでながら、きょうはなにがあった、とシンジがとう。きょうはバンドのサークルの、入部の勧誘をうけた、とこたえた。「バンド?」鍋の湯のなかのスパゲティーを箸でかきまわしていたシンジが手をとめて、おれをみた。「おまえ、楽器なんてなんかできたっけ?」「ああ、すこしは。吉田拓郎なんてうまいもんだぞ」おれがギターをひくまねをしてみせると、ふうん、とシンジは鼻をならしてスパゲティーにもどった。おれの家にはギターがいちだいある。親父のフルアコである。親父はかつてそれをかかえて、ベンチャーズを町の体育館で演奏していた。おれは子供のころからそのギターをひっかきまわしていた。中学のとき、従兄から吉田拓郎のレコードを数枚と唄本をいっさつかりて、それでコードをおぼえた。だから吉田拓郎ならできる。だが、そこまでである。「あしたの夕方、新入部員があつまって、なにかあるらしい」「いくのか」「いってみようかともおもう」「宴会か?」「そうかもしれん」「おもしろそうだな。おれもいっていいか」シンジがそういいだした。いったいなにが興味をひいたのかわからないが、ことわる理由もない。「ああ、おまえもくるといい。あしたの六時からだそうだ」「うむ。ところでな」「なんだ」「すごいことになったぞ」シンジがまがおでおれにいう。なにがすごいんだ、とたずねると、このビルの入居状況だ、という。「しってるか、このビルにすんでるのはな、おまえのほかは、ぜんぶ女だ」まるで世紀の大発見でもしたかのような顔つきである。シンジにとっては大発見かもしれないが、そんな話は入居するまえに不動産屋のばあさんからきかされている。おれにとってはなにひとつすごいことなどない。すごいとすれば、この男のバカさかげんだ。「おまえよ」とおれはシンジに意見をした。「たまにはこう、形而上学とかなんとか、そういうものに考察をくわえたりしてみたらどうだ? いつまでも女にチンポコをくわえさしてるだけがじんせいじゃないだろう?」おれがそう説教をたれると「ぶっ」と音がした。シンジがおれの目をみつめながら屁をたれた音だった。「余計なお世話だ」という意味ならしい。味なことをやる、とおれはおもった。ところへ、扉をたたく者がある。はい、とこたえておれがでてみると、二十歳ばかりの女がふたり、たっている。かたほうは眼鏡をかけていて、もうかたほうはかけていない。なんの用かといぶかっていると「あの、わたしたち、ここにすんでるんですけど、いちどご挨拶をとおもって」と眼鏡のほうが殊勝なことをいいだして、紙箱をさしだした。ケーキ屋の箱である。「よかったらたべてください、あの、いつもうるさくしててごめんなさい」という。してみるとこの女たちは、ピンポロリンとゲーコゲーコなのだろう。感心なこころがけである。おい、あがってもらえよ、とうしろからシンジが声をかけてきた。ふりむくと、シンジはくびをのばしておれたちのほうをみている。とかげをもてあそぶ猫のような目つきである。よからぬことをかんがえているのはまちがいない。この男はいつもこれだ。しかし、おいかえす道理はない。おれはうむ、とうなずいて、よかったらあがっていきませんか、お茶でもどうですか、と女たちをさそってみた。どうするう、どうしようかあ、と女たちは顔をみあわせて相談をはじめた。じゃあ、ちょっとだけお邪魔しようか、うん、そうしようか、でも、ほんとうにいいんですかあ、めいわくじゃありませんか、じゃ、ちょっとだけ、と女たちはくつをぬいだ。その女たちのつるつるしたスネのあたりに、とんで火にいる夏の虫と脚注があるようにおれにはみえた。

[29,02,2000]