|
→ジャンボということばはとうぜん世間いっぱんで通用するものだとながいあいだしんじこんでいたので、これが方言だと指摘されたときはわりとショックをうけた。葬式のことなんだけど、いまでも葬式なんていうよりジャンボっていわれたほうがしっくりくる。たぶんただしくはジャンボンで、鐘をジャンジャンならして木魚をボンボンたたくからジャンボンだ、という説明をきいたことがあるんだけど、ほんとかどうかはわからない。というわけで、アオヤナギという地に在住する親戚のヒイバ〜サマのジャンボにいってきました。おれはといえば、坊サマがお経をとなえとるまっさいちゅうにうんこがしたくなってしまい、地獄のくるしみをあじわいました。おれは気がよわいので、そんな状況で排泄になんてとてもいけない。だいたい、ジャンボのただなかに席をたつのさえ不謹慎なのに、どこへいくのかとおもってみてみれば便所にかけこんでいったなんてことになったら、あとでなにをいわれるかわかったもんじゃない。おまけにその家はイナカの農家なので、便所はとうぜん屋外にある(ついでにいうと、もちろんクミトリ式である)。ジャンボといえば、家じゅうの窓フスマ障子のたぐいをぜんぶとっぱらってとりおこなうことになってるので(そもそも農家は葬式のときのことをかんがえて家を建てている)、便所へいくようすは家のなかからまるみえ。かててくわえて庭には無限の参列者。そんななかを人波かきわけて便所にいく勇気なんておれにはありっこない。死んだバ〜は九十八かそこらの大往生で、棺桶に片足どころか首までつかってるようなバ〜だったんだけど、農家の女がそこまでいきぬいてしまうと子供とマゴとヒマゴとそれぞれの配偶者をあわせただけで五十人くらいいるし、子や孫というのが消防署と警察署と郵便局に就職したので、親戚一同および子孫の職場関係の参列者をあわせると、とてつもない人数があつまってる。町民ぜんぶあつまってきたんじゃないかと錯覚するほどである。そんななか、読経のさいちゅうに便所のトビラをあけられようか、いいやあけられるわけがない。しかし、あけられようとあけられまいと、そんな事情はおかまいなしで便意はようしゃなくしつようにおそいかかってくる。しかもなぜか坊サマがはりきっちゃってて、これでもかあこれでもかあとエンエンお経をとなえてる。そんなにとなえなくたってもうとっくにジョウブツしてるよ〜、いきてるときからジョウブツしてたよ〜とはおもっても、くちにだせるわけはないし、前門の虎肛門の便意で、進退きわまりました。しまいにゃ耳なりがして、滝のような汗がふきでてきました。うんこガマンしすぎで。坊サマがくる直前に「マサオくん、ごはんたべた? まだ? たべなさいたべなさいこれたべなさいそれもたべなさいあれもたべなさい」とイトコのヒロコちゃんが元気よく赤飯を山盛りで運んできてくれて、うれしくてつい全部くってしまったおれがあまかった。わすれてた。おれはめしをくうとうんこしたくなるのだ。そうくやんでみてもあとのまつり。ところがっ。親戚のバ〜サン連合のなかに「ナガサオのバ〜」とよばれてる、親戚芸能界をしょってたってるようなバ〜サマがいるんだけど、そのバ〜サマがつとたちあがって、どうしたのかとおもえば、衆人注視のなか平然と便所にいくではないか。おかげでおれは便意のくるしみのうえに敗北感といったものまでひしひしとあじわってしまいました。さすがにバ〜サマともなるとジャンボのさなかでもへいきで小便たりにいけるんだ、と感心したりして。そんで、用をたしおえて外にでてきてから「もっちゃがどもった、もっちゃがどもった」(もれてしまうかとおもいました、の意)と、ちいさい目をまんまるにして、真剣に周囲のひとに話しかけてる。そのただならぬ表情だとかようすだとかがあまりにおかしいので、でもわらうわけにもいかなくて、みんなウププなんてわらいをこらえるさまがさらにおかしい。ナガサオのバ〜は、たたみのうえにもどってきてからも、あたりのひとに「もっちゃがどもった、もっちゃがどもった」と、小声で話しかけてる(ぜったいにみんなをわらわせようとおもってやってるにちがいない)。あたりはたまらずクスクスクスクスざわめいてる。坊サマはいよいよはりきってお経をあげる。外はとみれば天気雨。ヘンなジャンボ。おれはおれで、ま〜だうんこを我慢してて、うんうんくるしんでる。便秘にくるしむひとの話をときどききかされるけど、便秘というのはそうとうにつらいらしくて、その苦労話をきかされたとき、同情はします。おれは便秘になったことがなくて、ふだん気にかけていないのでよくわからないけど、たぶん一日一、二回便意というものをおぼえ、排便してる。排便は呼吸みたいなもので、無意識のうちにとりおこなわれてる。糞ひり虫です。だけどこのときばかりは「便秘のくるしみと、うんこを我慢するくるしみとでは、どちらがつらいか?」とゆう、人間存在の根幹にかかわるような大問題をかんがえだして「ぜったいうんこ我慢するほうがつらいっっ」と確信するにいたりました。でも、うんこを我慢するのは年に一、二回なので、便秘のように慢性的なものではないので、くるしみの総量という面からかんがえると便秘人生のほうがひどいとおもわれるので、どちらの人生がつらいかといわれたら、便秘人生のほうかもしれません。いずれにしても、いついかなる状況にあってもどうどうと排泄してのけるナガサオのバ〜の度量がおれはほしい。
→ジャンボのあと、親戚一同あぜみちをえんえんと行列をつくってつらなり、うらの畑のなかのささやかなハカに骨をうめにいきました。ハカのとなりには謎の植物がうわってて、いあわせたジ〜サマに「これはなんだっぺ?」ときくと「これはあれだ、なんつったけがな、ほれ、こご、こごをうででくうやづだ」とある部分をさしていう。ブロッコリでした。そういうハイカラな野菜の名前をジ〜サマがしらない(農家のくせに)というのがおかしかった。そのさきは大根畑。そんなわけで夕飯の汁の具はナガサオのバ〜のくれた豆とアオヤナギのバ〜のくれた大根、オカズはアオヤナギのブロッコリであった。たべながら、どうでもいいけどこの野菜のわきにホネがうまってんだよなとおもうと、ヘンな気ぶんがしました。合掌。
|